映画「炎のランナー」モデルとなったエリック・リデルが五輪よりも大事にした信仰(小林信也)
ロンドン五輪の演出
イギリスといえば、12年ロンドン五輪の開会式を思い出す。
エリザベス女王がジェームズ・ボンドにエスコートされて空からパラシュートでスタジアムに舞い降りる演出の後、ロンドン交響楽団の演奏が始まる。ヴァンゲリス作曲の「炎のランナー」のメインテーマだ。
奏者の中に、タキシード姿のMr.ビーンが混じっている。彼はキーボードを退屈そうに指1本で叩き続ける。やがて居眠りを始めたビーンが見た夢は、映画のオープニング場面だ。
陸上選手たちが波打ち際を走っている。走者の中にビーンもいる。彼は走ってきた車に乗って先回りしたり、抜こうとする選手の肩を押して邪魔をしたりする。見方によってはスポーツを、映画を、文化伝統をも冒涜する演出だが、観衆は斬新なパロディーを楽しんだ。
過去の負の歴史を清算し未来に向かうには、ビーンのユーモアを借りる策が最善だったのかもしれない。
リデルは終戦前の45年2月、収容所内で脳疾病により天に召された。平和を希求するオリンピックの背後にはこのような痛切な歴史もあった。
人の心は悪魔が潜んでいるともいう。エリック・リデルは悪魔に支配されがちな極限状況下でも慈愛を失わず、他者を非難せず、調和と安寧を求め続けた。その生き様こそ、金メダルより重く貴い。スポーツの目的が金メダルでなく、人格の錬磨にあることをリデルの生涯は問いかけているように感じる。
[2/2ページ]