事件現場清掃人は見た 三重県の“売春島”で孤独死した「70代女性」の消せない過去

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 孤独死などで遺体が長時間放置された部屋は、死者の痕跡が残り悲惨な状態になる。それを原状回復させるのが、一般に特殊清掃人と呼ばれる人たちだ。長年、この仕事に従事し、昨年『事件現場清掃人 死と生を看取る者』(飛鳥新社)を出版した高江洲(たかえす)敦氏に、三重県の渡鹿野島(わたかのじま)で孤独死した70代の女性について聞いた。

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 三重県志摩市の的矢湾にある渡鹿野島をご存知だろうか。周囲7キロほどの小さな島で、地元では“売春島”として知られている。

 この島は、江戸時代に江戸と上方(大阪)を行き来した菱垣廻船と樽廻船が荒天時の避難場所で、船乗りをお客とした遊郭街だった。

 売春島として栄えたのは1970年代半ばから1990年で、ピークは1981年頃と言われる。最大13軒の置屋に60人の娼婦がいたという。繁華街には居酒屋、カラオケ店、ゲーム喫茶、ヌードスタジオ(小規模なストリップ劇場)などもあり、道では肩と肩が触れ合うほど客があふれた。しかし、バブル崩壊と共に次第に廃れていったという。

 2017年に出版された『売春島「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ』(高木瑞穂著)によると、置屋は3軒、娼婦は20人にまで減っているという。

借金の督促状

 かれこれ5年ほど前、この島で70代の女性が孤独死した。警察が身元を調べたところ、大阪に一人息子がいることが判明したという。

「その息子さんから、母親の部屋を清掃してほしいと依頼がありました」

 と語るのは、高江洲氏。

「依頼は、私の会社の代理店が受けました。代理店のスタッフが渡鹿野島の遺体が発見されたアパートに向いました」

 かつて栄えた島も現在は、廃墟のような街に変貌している。

「女性は、6畳1間のアパートに独り暮らしで、蒲団の中で亡くなっていたそうです。病死でした。死後1カ月経って発見されたのですが、かなり痩せていたため、遺体はまるでミイラのように乾燥していたそうです」

 部屋には、女性宛てに送られた借金の督促状が何通もあったという。

「彼女は夫とは別居し、小学生の息子とふたり暮しでした。大阪で飲み屋を営んでいましたが当時、店はうまくいかず多額の借金を抱えていたそうです。それもあって40年程前、息子を残して蒸発してしまったのです」

 バブル景気真っ只中の頃だったという。

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