失速続く「恋はDeepに」 “役選びを間違えた”石原さとみからそれでも目が離せない理由
石原さとみさんの主演ドラマは、低迷するとすぐに彼女に矛先が向く。「何をやっても石原さとみ」、あるいは、「役選びを間違っている」。今回の「恋はDeepに」、通称「恋ぷに」も、厳しい評価にさらされているようだ。
そもそも、「何をやっても石原さとみ」と「役選びを間違っている」は対極にある批判だ。演技力があるかないか。でも、そもそも石原さんは当たり役だろうとそうでなかろうと、彼女が選ぶ役は一貫しているように感じる。
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それは「強い女性」である。石原さんの当たり役って?、と問われれば、次の2つが上がることが多い。「失恋ショコラティエ」のサエコ役と、「アンナチュラル」の三澄ミコト役である。前者はあざとさの化身のような、小悪魔女子。後者はトラウマを抱えながらも自身の仕事に真摯に向き合う法医解剖医。役柄の印象は真逆だが、どちらも目的に向かってひたむきに進む賢さと情熱と行動力がある女性である。
「アンナチュラル」の前々年に出演した「校閲ガール」も同様だ。有能でプライドも高くておしゃれなヒロイン。でも口だけではなく、興味のなかった仕事に腐らずに食らいつく姿は、とても好感が持てた。また、「恋ぷに」と似た構図の「リッチマン・プアウーマン」でも、要領は悪くてもここぞというところは勝負強さを見せていた。
そう、「何をやっても石原さとみ」ではなく、「石原さとみはいつも強い女性役」という方が正しい気がするのだ。ただ、気の強さと我の強さは違う、とよく言われる。おそらく、ストーリーよりヒロインのキャラに焦点を当てすぎる役は嫌われやすいのだろう。お仕事系ドラマや恋愛モノでの「強さ」は、ひたむきさや頑張り屋という印象に転化しやすく、物語を進める原動力になる。一方、「高嶺の花」「Heaven?〜ご苦楽レストラン〜」のような、アクの強い主人公あってこそ、という展開になると痛々しく見える。
今回の「恋ぷに」も、後者のパターンだ。魚との会話、海のこととなると周りが見えなくなる空気の読めなさ。どんな相手にも物怖じしない姿勢。それが強い女性像ゆえではなく、人間社会とのズレとして際立たせるから、「役選びがおかしい」「ぶりっこヒロインは合わない」と言われてしまうのだろう。
けれども女優として、役柄の幅を広げたいというのは当然のことである。そして石原さんのすごいところは、他の女優だったら失敗したかもしれない「イヤな女」役を、時代の「憧れの女性像」に変えた記録を2回も持っていることである。
あざと可愛いの元祖・サエコ役に、わきまえない女・ミコト役……イヤな女を憧れの女性に変えた石原さとみの手腕
サエコ役とミコト役が石原さんの2大当たり役であるゆえんは、はまり役だっただけではなく、時代を変えた女性像になったことだ。
今でこそ「あざと可愛い」は褒め言葉だが、「失恋ショコラティエ」が放送されたのは7年前。「あざとい」女性は同性から最も嫌われていた。しかも自分に好意を持つ男性をもてあそぶような既婚女性役。それまで大河や青春もので健気な女性を演じてきた石原さんにとっては、それこそ「役選びを間違っている」と言われかねないチャレンジだった。
しかしふたを開ければ大絶賛。あんなに可愛かったらあざとくても許してしまう、と同性からの評価も急上昇した。「あざといって言うけど、自分の魅力を理解して最大限使えるって賢いってことだよね」と、まさに「あざと可愛い」を肯定的にとらえるブームのきっかけを作ったように見える。
そしてミコト役である。彼女はサエコと打って変わって、男性に媚びを売らない。むしろ「お前って誰のこと?」と淡々と聞き返す。そう、可愛げのない女、わきまえない女である。でも男性社会に対するモヤモヤを飲み込んできた女性たちにとっては、新鮮で頼もしい女性に映っただろう。従来のドラマでは単にキツイ女性や変人キャラとして描かれていたはず。でもこのドラマでは普通の女性として描いた。脚本家の野木亜紀子さんもすごいが、演じたのが石原さんだったから説得力があったとも言える。若すぎず、地味すぎず、でもきちんと存在感がある女優。
どんな役でも上手くこなせる女優はすごい。でも、時代を象徴する当たり役を持つ女優はそういない。石原さんは、各時代のニューノーマルな女性を2度も作ってきた。それは彼女が役選びを間違えることを怖がらず、チャレンジしてきたからだと言える。「恋ぷに」も最終回まで先がある。海音役がこれからの憧れの女性像になる日も来る……のかは正直わからない。でも二度あることは三度あると言う。それまで「役選びを間違え」続ける石原さんを、応援していたい。