不倫の恋に走った末、胃がんになった「魚屋店主」の結末

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別居生活は3年ほど続いたが…

 真梨恵さんは、それまでの話通り、天涯孤独の身の上だった。15歳のときに母を亡くし、以来、父と二人で暮らしていたが、短大を卒業して就職したばかりのころに父も事故で亡くなった。親戚もなく、彼女は実家を処分してマンションを買い、つましく暮らしてきたという。

「僕がここに来て本当にいいのか、と何度も聞いたし、身の回りのものをもって家に行ったときも尋ねました。でも彼女は『離婚しなくてもいいの。一緒にいてくれれば』と。そう言われるとちゃんとしたほうがいいなと思い、しばらく別居を続けたら一緒になろうと彼女を抱きしめました」

 それからは、真梨恵さんのところで寝泊まりし、早朝、バイクで店に戻ってから支度をして市場へ出かけるようになった。

 妻は声をかけてこなかったが、娘はよく父に話しかけてきた。学校から早く帰ってきたときなどは店で長い時間、ふたりで話したこともある。

「娘は夏休みにアメリカにいる僕の妹のところへ行ったこともあって、将来は海外で仕事をしたいというようになりました。好きなように生きればいいさ。そう答えたら、『パパは昔からそう言ってたよね。だから私も、パパに好きなように生きろって言ったんだよ』と。わがままで申し訳ないと思っていたけど、そうか、娘はオレをかばってくれたのかとちょっとうれしかった」

 3年ほどそんな生活が続いた。日々、忙しかったし真梨恵さんも何も言わなかったので、すっかり別居生活が定着し、離婚の話も出なくなっていた。

「もうじき45歳というとき、突然、体調がおかしくなって……。嫌な予感がして、すぐ親父が最期を迎えた病院に行きました。検査の結果、胃がんでした。なんだかんだでストレスを抱えていたのかもしれません」

 手術をすれば完治も見込めるという話だった。それを彼はひとりで聞いた。病院を出たとき、「さて、どこへ帰ろうか」と思ったことを今も強烈に覚えているという。この話を誰に真っ先に言うべきか、いや、言いたいか。そのとき顔が浮かんできたのは妻の絵津子さんと娘だった。

「自分が恋している女性に、この話はできない。でも家族には話したい。それは愛情の強さではなく、自分の中での絵津子と娘の位置づけなんでしょうね。恋の対象である真梨恵には心配をかけたくなかった。でも妻と娘には自分のすべてをさらけ出したかった。ずっと一緒に暮らしていたらそうなったかどうかはわかりませんが」

 その日は自宅に戻った。そして絵津子さんと娘と母にすべてを話した。今すぐ命に別状があるわけではないが、もちろん再発の恐れはつきまとう。もし自分が死ぬとしたら、「オレは君たちと一緒にいたい。許してもらえないとは思うけど」と頭を下げた。

「妻は固まっていましたね。娘と母は黙っていた。妻の口から出てきた言葉は、『今の調子はどうなの?』だった。まず僕の体調を心配してくれたことがありがたかった。その後は、もう大学生になっていた娘がいつもの調子で、『バチが当たったんじゃないの』と言ったので思わず僕も笑ってしまって。『パパの好きなようにすればいいよ。ママもそう思うでしょ』と娘がまとめてくれました」

 その後、勇太郎さんは父から相続し、貸家にしていた家の権利を真梨恵さんに贈った。せめてもの誠意を見せたかった。いざとなれば売ればいい、生活の助けにはなるはずだと言うと、真梨恵さんは「家なんていらない。お金もいらない」と泣いた。それを振り切るのがつらかったと、彼は目を潤ませた。

 あれから5年、勇太郎さんはすっかり元気になり、今のところ再発の気配もない。留学したがっていた娘は方針を変えたらしく、大学院へと進んだ。

「絵津子は管理職になって、ますます仕事が大変なようです。実を言うと、絵津子が僕を許しているのかどうか、今もわからないんです。病気のときは献身的に看護してくれたけど、僕のことをどう思っているのか。娘に相談したこともあるんですが、『そこは夫婦で話し合ったらどうよ』と言われてしまって(笑)」

 妻は、あの数年間をなかったことにしようとしているのか、あるいは触れないことが彼女の優しさなのか。いつかは聞きたいと思いながら、彼は聞けずにいる。そしていい魚が入ると、妻に食べさせたいと、取っておくのだという。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮取材班編集

2021年5月19日掲載

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