不倫の恋に走った末、胃がんになった「魚屋店主」の結末
「好き」という言葉を人は簡単に使う。「ビールが好き」「ケーキが好き」というように。もちろん軽い気持ちで言うのだ。だが、人に対して使うときは、言葉よりずっと重い思いを託していることもある。「好き」の一言から始まった「大恋愛」。そしてそこからさまざまな展開を経て「生きながらえた」男性がいる。
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松野勇太郎さん(50歳・仮名=以下同)は、40代の10年間を「人の何倍も生きた気がする」と言う。彼は都内のある商店街で鮮魚店を営む両親のもとに生まれた長男だ。
「親からは店を継がなくていい、好きなように生きろと言われていました。ただ、僕はやりたいことも見つからずに、高校を出ると一年浪人生活をしていました。年子の妹は高校時代に交換留学生をしたことがきっかけで、高校を出るとすぐアメリカに行っちゃいました」
大学に行くつもりだったが、浪人生として「だらだら過ごしていた」夏、父親が急病で入院することになった。
「母と一緒に病院へ行ったら、いきなり末期がん宣告です。膵臓がんでした。4ヶ月くらいしか生きられないと知り、母は倒れちゃうし、母方の祖母も具合が悪くなるし。あげくお店はどうするんだということになり、何もやることのない僕が買って出るしかなかった」
幸い、古くからの従業員がひとりいたのと、中学生くらいから店の手伝いをしていたので、だいたいのことはわかっていた。
「ただ、魚の目利きはできない。そこは従業員のおじちゃんと一緒に毎朝市場へ出かけて鍛錬するしかありませんでした」
午後から母親が父を見舞い、夕方から勇太郎さんが病院へ出向いた。そしてまた日が昇る前から市場へと出かける日々。
「父とは生まれて初めてじっくり話した数ヶ月になりました。あるとき、『おまえ、本当に魚屋でいいのか』と。僕は実際にやり始めたら、魚屋のおもしろさに目覚めたんですよ。子どもの頃から魚には親近感があったけど、仕事にしたら奥が深いこともわかった。だから父に『いいよ、店は任せなよ』と言ったんです。父がほろりと涙をこぼしてね、見て見ぬふりをしました。弱っていく父親を見るのは耐えられなかった」
医師の予告通り、父は4ヶ月で亡くなった。
勇太郎さんはそれから、「従業員のおじちゃん」に教えてもらいながら、自分でも必死に勉強した。1年後にはひとりで市場へ行くこともできるようになった。「おじちゃん」はすでに70代、いつまでもいてほしかったが、それから数年後には退職していった。
「人が大学を卒業する22歳のころ、ようやく一人前になれた気がしました。店は母とふたりで続けていたし、料理屋などへも営業していい魚を買ってくれるところも出てきて商売は順調でした」
そのころ家の前でばったり会ったのが、中学の同級生の絵津子さんだった。
「どうしたの、偶然だねと言ったら、『違うわよ、会いに来たのよ』って。彼女は高校を出てすぐ遠方の大学に行ったそうで、就職して戻ってきたら、うちの親父がいなくなって僕が店を継いだと聞いたらしい。それで土曜日にわざわざ来てくれたんですよ」
それが縁で、ふたりは25歳のときに結婚した。実は「でき婚」だという。絵津子さんは出産後、3ヶ月で仕事に戻り、娘は勇太郎さんと母親で面倒を見た。
「うちのお袋が絵津子を気に入って、育児も家事もしなくていいから、好きなことをしなさいって。絵津子は仕事が好きだったようで、残業や出張もばりばりやっていましたね。30歳を過ぎると責任ある仕事を任されるようになっていきました」
魚屋のオレじゃ物足りないかもしれないと思ったこともあると勇太郎さんはつぶやいた。だが絵津子さんは、「魚の話をしているときの生き生きとしたあなたが好き」と言い続けたという。だから彼は妻に対して引け目を感じることはなかった。
SNSで出会った女性
夫婦と娘と、夫の母親の4人家族は、いつでも仲良く暮らしてきた。近所の商店街でもかわいがられて育ったひとり娘は、ませてはいたがおもしろかった。
「絵津子は私立の中学を受けさせてもいいと思っていたみたいですが、娘は僕と絵津子が卒業した地元の中学に行きたい、と。中学時代はバレーボールばかりやっていましたね。実は僕も昔バレーボールをやったことがあるので、土曜日なんかは部活に顔出したりしていました。でも勉強は嫌いじゃなかったみたいで、そこそこの都立高校へ入学しました」
娘の高校の入学式には、絵津子さんの代わりに勇太郎さんが出席した。その日は店を臨時休業にして家族で中華料理を食べに行った。もちろん、地元商店街の店だ。
「絵津子も僕も昔から行っている店です。たまには都心に出ようかと言ったんですが、娘がその店がいいって。なんだかうれしかった」
幸せだったのだ、だからかなり飲んだ。そして酔った勇太郎さんを、妻と娘が笑いながら支えてくれた。
そんなに幸せだったのに、勇太郎さんはあるときSNSで一回り年下の真梨恵さんと知り合ってしまった。独身の会社員、天涯孤独なのだという。メッセージのやりとりを重ねているうち、どちらからともなく会おうかということになった。彼にとっては、娘と会うような感覚だった。真梨恵さんは落ち着いた感じの文章を書くが、どこか情緒不安定なところがあり、支えてあげたい気持ちが高まっていったのだ。
一度会って、彼は真梨恵さんに好感をもった。再度会って、「好き」が強くなっていくのを感じた。3度目に男女の仲になり、1年ほどデートを重ねているうちに、離れられなくなっていった。
「どうしたらいいかわからなくなりました。真梨恵への気持ちが止められない。こんな感情は生まれて初めてだった。絵津子にすべて話しました。さすがの妻も泣き出して『裏切り者!』と殴りかかってきた。そのとき娘が『ママ、いいじゃない。パパの好きにさせてあげたら?』って。パパはどうしたいのと娘に聞かれて、『とりあえず真梨恵と一緒に暮らしたい』と答えたんです。馬鹿親父ですよねえ。高校生の娘に向かって」
すると娘は、「じゃあ、そうすれば。でも仕事は辞めないでよ。生活費はきちんと入れてね」と言い、こっそり「ママの気持ちは私がなだめておくから」とささやいた。
「娘がそんなに大人になっているとは思わなかったから、本当に驚きました。翌日、僕は仕事を終えると身の回りのものをもってこっそり出て行ったんです」
店のすぐ裏が自宅だから、彼が家を出ていくのを母がじっと見つめていた。その視線を感じながら、心の中で母と妻と娘に手を合わせていたと彼は言う。
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