丸佳浩に代打を送る原采配 あまり動き過ぎると相手チームは…【柴田勲のセブンアイズ】

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 伝統の巨人対阪神3連戦は阪神の2勝1敗で終わり、これで首位・阪神と2位・巨人のゲーム差は今季最大の4・5となった。

 巨人は伝統戦2千試合目となった15日の試合こそ逆転で勝利をつかんだものの、3連戦を勝ち越せなかった。いま大いに乗っている阪神に対して、主将・坂本勇人とエース・菅野智之の二枚看板を欠いて苦しいチーム状況ではあった。

 3連戦は面白い試合の連続だったが、阪神・矢野燿大監督はどっしりと構えていたのに対して、原監督は動き過ぎたと思う。まあ、阪神は首位を行く自信があるが、追う巨人はいろいろな手を打たなきゃダメだ。この意識があるから動く。相手には焦りに映る。

 16日の3戦目。原監督は先発の今村信貴を3回で諦め、4回から新人・平内龍太を投入した。前日はエンジェル・サンチェスを7回途中まで引っ張ったが、今村は毎回先頭打者を出していた。この時点で同点、流れはどう転ぶか分からなかった。

 ここで新人である。厳しい場面だ。先頭・ジェリー・サンズには四球を与えて、続く陽川尚将には甘く投じたストレートを右翼席に運ばれた。四球から本塁打…悪いパターンである。結局4失点でマウンドを降りた。

 原監督にしてみれば、ここで好投してくれれば、流れを引き寄せる。はまる。こう思っただろう。だがやはり経験不足だ。もっと敗戦処理などを多く積ませて起用するべきではなかったか。

 一方、初登板初先発のラウル・アルカンタラは6回に連打を浴びたが、矢野監督は我慢してこの回までキッチリ投げさせた。本人にも初勝利を挙げて自信になった。

 外国人投手にしてはコントロールがいい。打者25人に四死球は0だった。自滅するタイプではない。次回はもっと長いイニングを投げられるのではないか。

 それにしても佐藤輝明は並みの新人ではないね。ふてぶてしい態度でもう7、8年4番を張っているような雰囲気を漂わせている。ヤクルトの村上宗隆以上だ。すべての球を振りにいっているが、ここにきて対応力が出てきた。左も苦にしない。なんとかヒットにできる。チームを引っ張っている。

 矢野監督は2軍で調整中の大山悠輔に代えてずっと4番で起用し続けている。佐藤もこれに応えようとしている。

「佐藤効果」で他の野手陣にも好影響を及ぼしている。遊撃に入っているこれまた新人の中野拓夢選手もいい。堅実な守備で打撃も広角に打てる。足が速いのも魅力的で今後も期待できそうだ。

 中継ぎ陣は元々定評があった。岩崎優は安定感抜群だし、抑えのロベルト・スアレスはこれはもう打てそうな感じがしない。

 少し阪神の話が長くなった。原監督は14日、1点を追う8回1死一塁で左腕の岩崎に対し、3番・丸佳浩に代えて中島宏之を代打に送った。普通は岡本和真、坂本、それに丸に代打は出さないだろう。これはどうか。阪神ベンチは丸の状態がよほど悪いのだろうと判断したに違いない。

 まあ、原監督も現役の最晩年の頃、長嶋(茂雄)監督に代打を送られたことがある。(※)この時、選手・原は悔しさのあまりベンチで目を真っ赤にしていたと記憶している。以後、原選手には期すものがあったと思うが、いまの選手は怒りの表情を顔に出さない。丸の心境や、いかばかりだが、相手には原監督が焦っていると映ったのは確かだと思う。

 今回の3連戦で巨人は2度、重盗を試み成功させた。でも、これは苦し紛れの作戦だ。下位のチームが上位のチームに仕掛ける一か八かの手だ。巨人は下位とはいえ2位だ。しかもリーグ2連覇しているチャンピオンチームである。たまたまいまは投打の主力を欠いて、また守護神のルビー・デラロサが離脱中などで何度も言うがチーム力は万全ではない。だが、もっと真正面から戦ってほしい。

 阪神は100の力を90出し、巨人は60しか出していない。前回も記したが我慢の時だ。

 さて、巨人対阪神戦が15日に節目の2千試合を迎えた。16日で2001試合目、今後も名勝負を繰り広げていくだろう。

 現役時代、甲子園のグラウンドに出ると、かなり多くの巨人ファンがいたものだ。阪神ファンと半々くらいだったと思う。最近、甲子園はもちろん、東京ドームも阪神ファンの方が多いような印象を受ける。

 阪神戦の一番の想い出は1969年(昭和44年)、7月3日、甲子園で「4番」に入って初回に江夏豊から左翼へ2ランを放ったことだ。当時の江夏の勢いはすごかった。王(貞治)さん、長嶋さんがケガではないのに4番に座ったのは私だけだった。天敵・江夏へ川上(哲治)さんが仕掛けた奇策で、この一発が効いて試合に快勝した。

 帰りのバスに乗り込むと、川上さんが「よくやった」と握手を求めてきた。調子に乗って、「明日も4番ですね」と言ったら、「今日だけだ」と叱られた。

 首位を走る阪神に関西地方を中心にトラファンが盛り上がっていると思う。だけど、最後は巨人と信じている。今回の負け越しを糧にしてもらいたい。

 ※1994年の9月7日の横浜戦。0対0の7回1死無走者。原辰徳に打順が回ってきた。この日は無安打、原は打席に向かったが長嶋監督は代打をコール、指名されたのは長嶋一茂だった。一茂は初球に手を出し三ゴロに倒れた。プロ14年目の原選手はケガで出遅れていたものの復調していた。試合は1対2で敗れた。

柴田勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会副理事長を務める。

デイリー新潮取材班編集

2021年5月18日掲載

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