岩城滉一が語る「北の国から」 邦さんと地井兄ぃ、倉本先生との思い出話全て話します

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岩城:草太って特別な……農家の青年って感じだったし、地井兄ぃは材木屋の社長で、黒板五郎は東京での結婚生活に失敗して故郷に戻ってきた。みんなキャラクターがぜんぜん違うから、(彼らから)演技を盗むっていうのはなかった気がするんですね。それぞれ芝居の質も違う世界にあると思っていたし。だからといって役者として尊敬してないわけじゃない。俺は役者って、人間としてどうなのかってことだと思ってるんで。人間としてもすばらしい人は、役者としてすばらしいのは当たりだから。

――モメたこともあったという。

岩城:方言指導っていうのがあって、北海道の人が役者一人に一人つくんです。大滝秀治さんとか俺とかには地元の人がついた。「いやあ、たまげた、俺しばれてもう、仕事行くのやめようかと思った」って感じの台詞を言ったら、隣にいた指導の担当が、「おめえたち内地のもんは、俺たち田舎の人間を馬鹿にしてる。俺たちそんな訛ってねえ」って。「いやいや、俺は聞いた通りやってるつもりだよ。倉本先生だって、『そこ違う』って言わんだろ、お前」って。俺も若かったから大喧嘩だよ。それを見た倉本先生が即、「あ、方言指導、終わり」。その場で、終わっちゃったんですよ。

――もっとも現地では、岩城は北海道出身と思われていたという。

岩城:「いやあ、岩城さん、北海道生まれなんて知らなかったですよ」ってみなさんに言われたの。でも「いやいや、俺、東京から出たことないよ」って。アクセントやイントネーションに多少の誇張はあると思います。でも、それが北村草太なんだもん。だから北海道の方も認めてくれたんだと思う。

――長期間、富良野にいて変わったこととは?

岩城:初めのうちは長台詞が大変で、500円玉大のハゲができたほど。10ページっつうのもあったもんな、俺一人だけ喋るの。ワンシーン回しっぱなしだから、息するの忘れちゃって、苦しくなっちゃったこともある。でも、ずーっと草太を演じてきてね、演技が自分のものになってきちゃったってのもあったね。

――次第に、役名と芸名がごちゃ混ぜに。

岩城:「中畑さん、あのさあ」っていう台詞が出てこない時があったもんね。中畑さんを呼ぶのに「地井兄ぃ」って呼んじゃいそうで。「五郎さん」って言わなきゃいけないんだけど、俺らはやっぱり「邦さん」って呼んじゃうわけじゃない。一緒にいるのが長いから、そこがちょっと苦労したっていうか……。

――逆に、純と螢の芸名を覚えられなかったとか。

岩城:純と螢だって、北海道に行った時、(手を低くして)こんなだったからね。お母さんが来てない時もあったから、風呂で螢の頭洗ってあげて、一緒の部屋で寝たこともありますよ。もちろん、普段から「純、螢」って呼んでたから、芝居で困ることはない。怒るのも、「泣くなお前」って言うのも、普段と一緒だから。でも、彼らのちゃんとした名前を覚えたのって、「北の国から」の最後のほうですよ。いわゆる芸名を言われて、「いや知らない、誰それ?」「いやいや『北の国から』で共演した純ちゃんと螢ちゃん」「え? そういう名前なんだっけ」なんてこともありました。いまだに2人に会うと、純と螢だしね。純なんか「オートバイ乗りたい」って電話かけてくるから、俺の知り合いを紹介したりもした。「お兄ちゃん、今スカイダイビングやってんだって? 俺も飛びたいんだけど」って言ってきた時は、「じゃあ来いよ」って誘ったはいいけど、飛行機乗ったりしなきゃだから書類を書かなきゃいけない。俺が先に着いて、「先に一緒の方のお名前だけでもご記入いただけますか」って言われても「本人来てから訊け。俺、純しか知らねえ」って。

――意外なことに、ホームシックになったとか。

岩城:あの頃は娘がまだ小さかったこともあって、どうにも家族が恋しくて。そしたら邦さんと地井兄ぃが、「岩城、お前、子供呼んでやれよ。ジュニアパイロットってあるじゃねえか」って教えてくれてね。

――今も続く、全日空が就学前後の子供の一人旅を支援するサービスである。

岩城:でもさ、「邦さんも、地井兄ぃもさ、そうやって言うけど、雪が降ったから今日休み、雪が降らねえから今日休みっていういい加減なスケジュールの中でね、子供呼んだっていつ面倒見てやれるか分かんない」つったら、「俺たちが一緒に遊んでやってるから大丈夫だよ」って。俺が撮影してる時、純と螢と混じって、うちの娘をプールで一日遊んでくれたりとかしてくれたな。でも、ある日、俺が帰った時に、寒いのに水の中にいて娘の唇が紫になってたから、「邦さん、いつまで泳いでるのよ」って言ったらバツが悪そうにしてたっけね。

――田中さんは泳ぐのが好きだったのか?

岩城:好きだね。邦さんと地井兄ぃは、夏は水泳、寒くなってくるとマラソンしたりとか、「そんなに運動してどうすんの、かえって体悪くするよ」って言ってたほど。邦さんは酒は飲まないけど、地井兄ぃとは、倉本先生が飯食いに行こうかって誘ってくださって、飲んだりすることもありました。もっとも当時は、俺があまり飲まなかった。体にアルコール入れるくらいなら、バイクレースのマシンにガソリン入れたいって考えだったから。

――地井さんと最後に飲んだのは、彼が亡くなる数カ月前だったという。

岩城:地井兄ぃがうちの近所の知り合いの焼き鳥屋に来て、「滉一を呼べ」って話になったらしくて、俺もすぐに行って昔話をしながら飲んだんだ。持病を持っていることは知っていたけど、元気そうだったからね、そんなに悪かったとは思わなかった。早すぎたよね。

――「北の国から」には数々の名シーンがある。中でも「2002遺言」における、妻を癌で亡くす中畑(地井)の迫真の演技が語り草となっている。実際に、地井は癌で夫人を亡くしたばかりだったという。

岩城:地井兄ぃの奥さんが具合悪いってのは、あの頃みんなが知っていました。けどほら、「癌なんだって、大丈夫?」なんて軽々しく言えないじゃない。それで撮影の少し前に亡くなられて。芝居がすごいというより、役者ってここまでしなくちゃダメ? みたいな。あまりにも辛かった。でも、あのシーンに敵うって他にないだろうね。

――草太が亡くなった時には、フジテレビに抗議が殺到したと言うが。

岩城:ありがたいよねえ。それはありがたいことですよ。倉本先生のおかげだし、邦さんのおかげだし、地井兄ぃのおかげだと思う。

――草太が死ぬと知った時はどう思ったのか。

岩城:「北の国から」も後半に入ってくると、邦さん、地井兄ぃ、俺だってさ、若いって言える年じゃなくなってきたわけ。この3人はちょうど10歳くらいずつ年が離れていたんだけど、「年取ったなあ」なんて話から始まってね、「最初は邦さんだろ、それで地井兄ぃで、俺だな」なんて言ったりしていたんですよ。中でも草太は一人抜けてて、はしゃいだり、掻き回す役どころでもあった。でも、あのテンションで、あの声では続かないと思うようになっていた。草太の、あのパワーをもうちょっと削ってもらえねーかなー、なんてね。そんな時に倉本先生から電話があって「岩城、死んでくれるか」って。俺が言うのはおこがましいけど、先生もあの頃、本が行き詰まってたんじゃないかな。でも、邦さんが死んじゃったら「北の国から」が終わっちゃうし、地井兄ぃが死んじゃったらどうなるのよ。それで、子供たちが死んで悲しむ順番って言ったら誰だろうって考えたんじゃないかな。五郎だろ、次は中畑、いや、草太なんじゃねえの、っていう話じゃないかと思うのね。だから、俺があそこで死ぬってことのインパクトは大きかったと思うんですよ。フジテレビに、「なんで草太殺しちゃったんだ!」って電話があったと言われて、俺も涙が出るほど嬉しかった。やった甲斐があったね。

――だが、草太の出演は、最終作となる次作「2002遺言」でも続いた。

岩城:結局、「岩城、やっぱしお化けで出てくんねえか」って。えー! みたいな話だったけど、先生から「草太出ねえと『北の国から』じゃねーんだよ」と言ってもらえた時は嬉しかったね。でも、急に思い立ったシーンのような気がするんだよ。ちょっと無理があったかなって。見てる人へのサービスカットだったと推測してるんだけど。それでも嬉しかったですよ。

――岩城は全作に出演したことになる。自身にとって「北の国から」とは、何だったのだろうか。

岩城:映画でもね、けっこう主役やらしてもらって、ロングランになって賞をいただいた作品もあるけども、僕の歴史の中で代表作っつうと「北の国から」って言わざるを得ない。他に何あるんだよお前、って言われたら、ええと……って口ごもっちゃうくらいですよ。

――この作品で初めて芝居に目覚めたそうだが、

岩城:「北の国から」で芝居の面白さを知った。そうしたら、違う番組ができなくなっちゃった。台本読んでも、はじめの何行かでどんな番組なのか分かっちゃう。そういうのが、なんだか本当につまらなくなっちゃって、演技に身が入らないというか、遊んでばっかりというか……。

――北海道にバイクツーリングに行った時には大歓迎を受けたという。

岩城:ドラマが終わってから、みんなでツーリングに行こうって話になった。ヒロミとか中野英雄とか、バイクで行って、テントに寝たりホテルに泊まったりして、北海道をぐるっと回ったんですよ。そしたら富良野では、寒い中、地元の方が“へそ踊り”の格好で待っててくださったの。「草ちゃん、お帰りい!」って。嬉しくて、その場で泣いちゃったよ。そんなドラマはもうないよ。

――現在、岩城は「~岩城滉一 Bike Style Life~ 51 SENSE」(BSスカパー)で、カスタムバイクやゲストとのツーリング、対談などを紹介するレギュラー番組を持っている。

岩城:ソロキャンプにもハマっているよ。でも、女房には食わせるって約束で一緒になってもらったから、嫌な思いはさせられないからさ。神奈川のクレー射撃場を買って、ちょうどリニューアルが済んだところなんですよ。芸能界で続けていく自信もなくなっちゃったからね。一経営者としてやっていくのもいいかな。

――ファンは岩城滉一の演技を待ち望んでいるはずだ。

デイリー新潮取材班

2021年5月18日掲載

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