岩城滉一が語る「北の国から」 邦さんと地井兄ぃ、倉本先生との思い出話全て話します
3月24日、田中邦衛さん(1932~2021年)が亡くなった。代表作は数多あるが、やはり21年にわたって黒板五郎を演じ続けた「北の国から」(フジテレビ:81~02年)を挙げる人は少なくないだろう。「週刊新潮」(5月6・13日号)では“草太兄ちゃん”と慕われた、岩城滉一氏(70)にインタビュー。誌面に掲載できなかったロングバージョンをお届けする。
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「北の国から」の原作・脚本は倉本聰。81年10月~82年3月の2クール全24話の連続ドラマとしてスタートした。東京から故郷の北海道に戻り、大自然の中で暮らす一家(黒板五郎[田中]、純[吉岡秀隆]、螢[中嶋朋子])と、富良野での交流を描いた。83年からはスペシャルドラマとして8本作られ、最終作「北の国から2002遺言」まで21年続いた。
岩城の演じた北村草太は、スペシャルドラマ7作目の「北の国から'98時代」で死亡したが、次作の「2002遺言」では幽霊となって純と螢の枕元に立っている。つまり全作出演したことになる。もっとも、田中さんの訃報に際し、岩城が発したコメントは以下のように短いものだった。
《みんな何十年も一緒にいた家族みたいなので、悲しいとかは当たり前で、僕らも明日行く道だから「さようなら」と言葉をかけるより「また会う日まで」と言いたいですね》
――ずいぶんあっさりしているようにも思えた。
岩城:俺がこんなこと言っちゃいけないことだけど、きっと邦さんもほっとしたんじゃないか。これ、どう言ったら伝えられるかな。もちろん立派な役者さんとしてだけでなく、人としても天寿を全うされたと思います。ただね、最後にお会いしたのは、地井兄ぃ(地井武男[1942~2012年])のお別れの会だったけど、俺の顔が分からなかったんだよ。顔見て、「あ、誰だっけ?」って首をかしげてたから、「あんちゃんだよ! 草太兄ちゃんだよ」って言ったら、「んふふ」って言ってた。あの時お見受けした状態から、かなり体調が悪かったんじゃないかと思う。あれから10年近く、表にも出てこなかった。もちろん「邦さん、大丈夫かなあ」って話はしていたし、事務所を通じて様子を聞いたりもしていた。けど、奥様は見舞いに来られるのを避けていたようでしたからね。邦さんはもちろんだけど、奥様、ご家族の苦労は大変だったと思うんですよ。
――共演者と言うより、家族を思うような話しぶりだ。
岩城:(「北の国から」に出演して家族に)ならされちゃったっていうか。やっぱり、北海道で周りに知ってる方がスタッフ以外にいなくてやってることだったから、一つの家族体制みたいになってたのは間違いないと思うよ。最初の「北の国から」の撮影に入ったのは、俺が29歳の時。10カ月ぐらい富良野にいて、東京に戻ってオンエアが始まった時には30歳になってた。
――近頃では、映画の撮影でも聞かない長丁場だ。倉本作品の撮影は厳しいとはよく聞くが、なぜ「北の国から」を受けたのだろう。
岩城:「北の国から」の前に倉本先生が、TBSの「あにき」っていう、高倉健さんの主演ドラマに、僕のことを推挙してくださったんですよ。その時、TBSの偉い人は「岩城はだめだ」って断ったにもかかわらず、先生は「いや、これは岩城のために書いた本だから、岩城以外は無理だ」って使ってくれたんです。嬉しかったんだけど、期待を裏切って、御用になっちゃって降板したんだよね。
――高倉のテレビドラマ初主演にして、唯一の連ドラが77年に放送された「あにき」だ。しかし同年、岩城は薬物事件で逮捕された。
岩城:その後、倉本先生が「岩城、今度は最後までやってくれるか」って、また推挙してくれたんです。俺も家族を食わせなきゃいけねえし、それまでバイト感覚だったけど、一生懸命やらなきゃいけねえって腹もくくった。それで(「北の国から」を)やるようになって、ドラマってさ、芝居ってさ、面白いよねって、初めて思った時だった。
――倉本は、本読み・立ち稽古には自ら参加する。その台本は、一言一句、変えることは許されないと言われる。
岩城:例えば、監督に「なんでここ、こうなの?」って聞くことがあるでしょ。あんましつこく訊くと、「じゃあ、そういうふうにやればいいじゃん」みたいな人もいるわけですよ。だけど、倉本先生って「じゃあ、そっちでやれば」なんて、絶対ありえないんだよね。「“何々だね”じゃねえ、岩城! そこは“何々だよ”なんだよ。“よ”、分かったか!」って言う。「点々、これ何個書いてある?」「8個あります」「だったら自分の中で、8個数えろ! これが俺の間だ!」って言う人なんで。久世(光彦)さんもそうだったね。内緒話をするシーンを撮っていたら、録音の人が「聞こえないんで、もうちょっと声張ってください」って言ったら、久世さんが「余計なこと言うな馬鹿野郎! 内緒話してんのに、でけえ声で喋ってどうすんだ!」って怒ったんですよ。だから俺の中ではやっぱり倉本先生と久世さんってのが、やっぱり今も残ってる。すごい人っていうかね……。
――その本読みで、感情移入した岩城は、涙したとも言われているが、
岩城:いやもう、ちょっと、これはさあ……。自分にシーンが入り込んできちゃってね。悲しさが定着しちゃって、声が震えちゃって喋れないっていうくらい酷かったね。だからシーンが変わったからって、「いきなり笑えねえよ、俺」って言ったくらい厳しかった。
――一方、出演者たちが凍りついたこともあった。本読みの時のことだ。
岩城:(草太の恋人役だった)松田美由紀が、「私がこうやって芝居してるのに、なんで邦さんは受けてくれないの!」って言い出して、シーンとしてしまったことがあったね。耳がキーンってなるくらい衝撃的で、びっくりしちゃったよ。だって、“邦さんに芝居つけてんの? お前”ってことでしょ。黒板五郎はそんなリアクションはしないし、本にももちろん書いてない。黒板五郎に、ああせい、こうせいって言えるのは先生しかいないのに、勝手に演出しちゃってるんだから。
――撮影以外での雰囲気はどうだったのだろう。
岩城:それまで、邦さんと顔は合わせたことはあったんです。六本木の喫茶店とかで。もちろん挨拶しましたよ、俺にとって邦さんは高倉健さんと同等だからね。でも、気を遣わせないっていうか、偉そうじゃない。向こうに行っても、富良野の街に溶け込んでた。衣装なんかも邦さん一人で農協へ行って買ってきたり。「じゃあ俺も」とか言ったら、「岩城は若者だし、ちょっと街寄り(都会)に行ったほうがいい」って言うんで、流行ってるワケじゃねえけど、東京から買っていって。作業着なんか、うちが土木やっていたからそれを使ったりね。
――草太兄ちゃんのジーンズはブーツカットだった。
岩城:細かいとこ見てるねえ。俺は昔、ベストジーニスト賞ってもらったこともあるんだよ。当時、ジーンズのウエストは28インチだったけど、腿は32インチのじゃないと入らなかった。なかなかそんなジーンズはなかったのよ。それで、草太はバイクに乗るからって、バイク用にLeeとかLEVI'Sがブーツカットを作ってくれてた。それを富良野に持ち込んだんだ。
――共演者の演技をどう思っていたのだろうか。
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