印刷技術から生まれた三つの事業を再融合する――麿 秀晴(凸版印刷代表取締役社長)【佐藤優の頂上対決】
株券の印刷に始まる凸版印刷は、ICカードやセキュリティ分野に進出する一方、包装材や建築資材を開発し、さらにはディスプレイ、半導体関連部材にまで事業領域を拡げてきた。そしていま、それらの事業を組み合わせて新事業を生み出そうとしている。老舗企業「大変革」への大いなる挑戦。
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佐藤 4月1日からテレビで凸版印刷の企業広告が始まりました。早速拝見しましたが、俳優の大泉洋さん、成田凌さんを起用して、印刷だけの会社ではないことを強くアピールされていますね。
麿 はい。いまは印刷物やチラシなど、ペーパーメディアの仕事は全体の4割くらいです。つまり6割は違う分野の仕事になっています。
佐藤 大日本印刷と並んで日本の印刷会社の2強ですが、両社とも非常に多角化している。先ほどご案内いただいたショールームには、驚くほどさまざまな製品がありました。凸版製とは書かれていないので意識はしませんが、日本人で凸版印刷の製品と関係ない人は一人もいないのではないかと思います。
麿 そうかもしれませんね。
佐藤 創立時は株券を印刷していたのですね。
麿 2020年に創立120年を迎えましたが、もともとは大蔵省印刷局の人たちが独立して作ったベンチャーです。エルヘート凸版法という新技術を使って、精密な印刷が要求される株券からスタートしました。大蔵省の管理工場としてお札を刷っていた時期もあります。そして商業用印刷を広く請け負うようになっていきました。
佐藤 ショールームには明治時代の「天狗煙草」がありました。そのパッケージを印刷されていた。あれは明らかに浮世絵を意識していますよね。江戸期に浮世絵が発達し一般庶民の目が肥えている中で、西洋から持ってきた印刷技術でそれに挑み、勝ち残っていった。
麿 その通りです。とても精巧で芸術的なモノを作れる技術者たちが、商業印刷の世界に打って出た初期の製品が天狗煙草です。それまでの印刷技術では、あそこまで精巧なものは作れなかった。
佐藤 いま、その延長線上に高いセキュリティが要求されるICカードやパスポートなどがあるわけですね。
麿 セキュリティの技術からはホログラムなども生まれてきます。さらにデジタルの方向にも延びて、デジタルサイネージ(電子看板)やVR(仮想現実)、AR(拡張現実)といった分野まで広がっています。これらを私どもは「情報コミュニケーション事業」と呼んでいます。
佐藤 最先端の技術ですね。その一方で、パッケージや建築資材などもある。
麿 「生活・産業事業」という形で分けていますが、例えば「GL BARRIER」という透明バリアフィルムなどがあります。GL BARRIERは、内容物を吸湿、乾燥、腐敗から保護する性能があります。賞味期限が延びる可能性があるので、フードロスの削減に貢献します。また、循環型社会の実現に向けて、パッケージをリサイクルしやすいよう、GL BARRIERを使用したパッケージのモノマテリアル化(単一素材化)を進めています。GL BARRIERの提供を通じて、私たちはSX(サステナビリティ・トランスフォーメーション=持続可能性への変革)の実現を目指しています。
佐藤 GL BARRIERは凸版印刷の技術なのですか。
麿 私どもで開発しました。いま世界で45カ国以上、1500社に供給しています。
佐藤 資料には、SDGsへの取り組みを経営に統合する、とありましたが、まさにそれに合致する製品ですね。
麿 そうです。それから事業分野としてはもう一つ、「エレクトロニクス事業」があります。
佐藤 液晶ですね。
麿 ディスプレイ系では液晶もありますし、タッチパネルや反射防止フィルムもあります。さらには半導体関連部材も作っていまして、高速サーバーなどで使う半導体パッケージ基板なども供給しています。
縦割り事業を横に繋げる
佐藤 これらはどれも印刷テクノロジーをベースに、それぞれの分野で独自に発展してきたものですね。
麿 時代のニーズに合わせ「情報コミュニケーション」「生活・産業」「エレクトロニクス」の三つの事業が縦にできました。でもいま私としては、この技術を混ぜ合わせたいと考えているのです。
佐藤 どう混ぜるのですか。
麿 例えば、木目を印刷した建装材がありますね。これにバイタルセンサー(身体情報の計測器)を入れると、スマートハウスができます。また、生分解されたり廃棄しやすい素材にすれば、リサイクルしやすいサステナブルな家が作れる。あるいは、その家を売るにあたって、展示場に来なくてもデジタル技術を活用してバーチャルで質感までわかるようにすることもできます。
佐藤 会社の中にある技術を掛け合わせていく。
麿 もう一つ例を挙げると、いまかなり具体化してきているのが、ヘルスケア系のビジネスです。ヘルスケアというと、「情報コミュニケーション」の人たちは、医療データを個人のIDに結びつけてカルテなどのデータマネジメントをしたがります。「生活・産業」の人は、何か機能がついた薬の包装材を開発したがる。そして「エレクトロニクス」の人は、センサーを作りたがります。
佐藤 それを全部繋げる。
麿 一度病院で診察を受けたら、自分の症状、体調に合わせた薬の処方が自動的に毎日行われるようになり、薬を包むところから、配達、アフターケアまで、一気通貫にできる仕組みができるのではないかと考えています。
佐藤 いまある事業部を横に繋いでいく。
麿 そうです。横串です。
佐藤 しっかりした事業部があるわけですから、そこはトップダウンでやらないと動きませんね。
麿 おっしゃる通りです。それぞれの事業部は一所懸命にやっています。そこからはみ出ろ、と言ってもなかなかそうはいきません。
佐藤 特定分野の高度な専門家だけが集まると、頭が硬くなってしまう。
麿 いまがまさにその状態で、それをちょっとほぐして混ぜようとしているのです。赤と白があって、混ぜればピンクになることを頭では理解しているのに、なかなかアクションには繋がりません。
佐藤 縦割りの中では、その発想は生まれないでしょうね。
麿 混ぜるにあたって、まず我々の持っているコア・コンピタンス(競合他社は真似できない核となる能力)とは何かを整理しました。そして社内のさまざまなテーマを棚卸しし、将来のマーケットや潜在的ニーズに照らして、これをここに当てはめてみたらとか、ここは一緒にやるべきではという組み直しをやりました。
佐藤 そうしたら、さまざまな可能性が出てきたのですね。
麿 まだまだ伸び代はあります。
佐藤 もうプロジェクトとして動き始めているのですか。
麿 横串チームのプロジェクトがもう走り出しています。また、「社長ディスカッション」という仕組みも作りました。私に直接プレゼンするのですが、条件は一つ、いつも仕事をしているチーム以外の人と組んでくれ、ということにしました。
佐藤 どのくらい来ましたか。
麿 社長とディスカッションするのはハードルが高いでしょうから、そんなに来ないと思っていました。ところが80組前後、延べ255人がやってきた。呼びかけた以上、全部聞きました。コロナ禍でしたからリモートを活用しましたが。3カ月くらいかかりましたね。
佐藤 1チーム、何分くらいですか。
麿 約1時間です。
佐藤 それは長いですね。プレゼンする側もそうとう企画を練り上げないといけない。面白い企画はありましたか。
麿 いっぱいありました。主婦チームから勤務体制についての提案があったり、営業の現場からは気付かれていなかったテレワークの問題点を指摘されたり、ビジネスモデルとしても何件かいい提案がありました。
佐藤 大きな収穫があったのですね。その一方、社外のベンチャー事業にも積極的に投資されていますね。
麿 私が経営企画本部長だった3年前に始めました。やはりどんどん変わっていく社会の中では、新規事業を起こす必要があります。それには新しいテクノロジーのタネが要る。社内シナジー(相乗効果)だけでは限りがあるので、ベンチャーに期待するということです。
佐藤 凸版印刷は単体で1万人以上の従業員を抱える組織です。研究者だけでも相当な数でしょう。
麿 研究所自体には700人くらいですね。さらに各事業部にも研究者はいます。
佐藤 それでは足りませんか。
麿 足りないですね。それぞれがいいテクノロジーを持っていて、その足し算、掛け算はできます。ただそれらはどこかで繋がっているもので、飛び地にある技術ではありません。
佐藤 何社くらいに投資されているのですか。
麿 四十数社ですね。宇宙からAIまで、さまざまな分野があります。
佐藤 ベンチャー投資には、リスクもあります。
麿 ベンチャーキャピタルとして利益を得るためにやっているのではなく、事業を生むテクノロジーのための投資です。また投資先の面倒を見てきちんと育てられる社内の人材の育成、それらの会社を通じて自社の体質改善なども狙っています。
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