巨人「テームズ」は1日で消えるのか…デビュ―早々、故障に泣いた大物助っ人たち

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神のお告げを感じて

 ハワード同様、故障が祟り、わずか7試合で電撃引退したのが、97年に来日した阪神のマイク・グリーンウェルだ。メジャー通算打率.303、130本塁打の実績を持つ33歳の現役メジャーリーガーは、2年連続最下位と低迷する“トラの救世主”として、当時の球団史上最高額の3億6000万円で2年契約、住居も神戸市内の超高級マンションの3LDK2戸をぶち抜いた総面積200平方メートルの広い部屋を提供するというVIP待遇で迎えられた。

 ところが、そんな期待とは裏腹に、グリーンウェルは春季キャンプ中の2月11日に副業の事務処理などを理由に帰国すると、今度はキャンプ中に背中を痛めたことを理由に、再来日をズルズル引き延ばし、ようやく戻ってきたのは、開幕から3週間以上も経った4月30日だった。

 この間、球団もファンもヤキモキさせられっぱなしだったが、5月3日の広島戦で日本デビューをはたしたグリーンウェルは、3連戦で12打数5安打5打点と打ちまくり、チームの勝率5割復帰に貢献。救世主の本領を発揮しはじめたかに見えた。

 ところが、5月10日の巨人戦で、グリーンウェルは、三沢興一のスライダーを強振した際に、自打球が右足首を直撃。痛みをこらえて、翌日の巨人戦も出場し、1安打を記録したが、痛みが収まらず、再検査を受けたところ、第2中足骨骨折で全治4週間の重傷と判明する。吉田義男監督は「これからというときに……」と頭を抱えたが、話はそれだけでは終わらなかった。

 5月14日、グリーンウェルは「足のけがは“野球を終われ”という神のお告げだと感じた。これからは家族と過ごしていく」と突然引退を発表。翌日に帰国してしまった。

 大金をはたいて獲得したのに、活躍したのはGWの3連戦だけで、残り4試合は14打数1安打0打点と期待外れのまま退団。虎党を「GreenWellじゃなくてGoldenWeekだ」と嘆かせた。

「小錦が乗っているようだ」

 日本で2年続けて活躍したのに、移籍後、故障に泣いたのが、208センチの左腕、エリック・ヒルマンだ。メッツ時代は通算4勝14敗、防御率4.85と今ひとつながら、95年にロッテに入団すると、長身から投げ下ろす多彩な変化球を武器に12勝を挙げる。さらに翌年もチーム最多の14勝で、ベストナインに輝いた。

 だが、同年オフ、巨人・長嶋茂雄監督が日本一奪回のキーマンと期待し、5億円の2年契約で獲得すると、ヒルマンは年明けから左肩の違和感を訴え、開幕2軍スタート。

 5月7日のヤクルト戦でようやく1軍初登板をはたすも、5回8安打3四死球2失点で負け投手に。同14日の広島戦も「人生の中で一番の痛み」を訴え、わずか7球で降板。わずか2試合に登板しただけでシーズンを終えた。

 翌98年も「左肩に(体重285キロの)小錦が乗っているようだ」の発言が話題になるなど、シーズン開幕後も登板できない状態が続き、5月30日、渡辺恒雄オーナーの「金(5億円)さえ払えば解雇できるんだ」の一声で、自由契約になった。

 さらに帰国後、左肩回旋筋腱板の全層断裂の重傷だったことが判明し、引退に追い込まれている。日本になじんだ選手でも、いつどうなるかわからないのが、故障の怖さである。

 負傷の翌日、松葉杖姿で球場に挨拶に来たテームズの誠実さに胸を打たれ、来季も日本でプレーする姿を熱望するファンも多いだろう。「1日も早くグラウンドに戻り、ファンの皆様に元気な姿をお見せしたいと思っています」の希望が実現する日を待ちたい。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮取材班編集

2021年5月16日掲載

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