「あまり怒らずできた」と語った松山英樹 マスターズ創始者すら苦しんだゴルファーの“永遠の課題”とは(小林信也)

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自由にゴルフを楽しむ

 グランドスラムを達成するとまもなくジョーンズは引退を発表した。まだ28歳。当時はアマチュア規定が厳格だった。ゴルフレッスン映画出演を決めた時点で大会への出場が危ぶまれた。ジョーンズはそんな束縛からの解放を求めて引退を選んだ。自由にゴルフを楽しむためであり、ゴルフ以外にも人生の可能性を求めたからだった。後にジョーンズは弁護士として活躍する。

 そして仲間たちとオーガスタの元果樹園だった土地を買い、ビギナーでも楽しめるようなゴルフ場を作った。そのコースに仲間を呼んで大会を開いたのがマスターズの始まりだ。周囲は当初からマスターズと呼んでいたが、ジョーンズが、「自分を名人(マスター)と呼ぶなんて不遜だ」と強く反対したため、マスターズが大会名になるのは1939年からだ。引退したジョーンズも、主催者として大会に出場した。

 マスターズが特別な大会になったのは、ジョーンズがたどった心の歴史と仲間たちとのゴルフへの思いがこもっているからだ。

 優勝した松山は、優勝賞金約2億2700万円のほか、マスターズへの「永続的な出場権」を得た。生涯、心置きなくゴルフを楽しむ権利をもらったのだ。

「次は全英オープン制覇だ」「メジャーで今後何勝できるか?」と勢いづくメディアやファンが多いけれど、マスターズを制覇した王者が向かう先はもうひとつある。ゴルファーとして、もっと楽しむこと、ゴルフの深さを味わい、友と分かち合うこと。松山は球聖ボビー・ジョーンズが用意したオーガスタでマスターズを制し、新たなゴルフの扉をくぐったのだ。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。「ナンバー」編集部等を経て独立。『長島茂雄 夢をかなえたホームラン』『高校野球が危ない!』など著書多数。

週刊新潮 2021年5月6・13日号掲載

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