元フジテレビ名物Pの回顧録、「オレたちひょうきん族」がTBS「全員集合」を倒せた理由

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 フジテレビで「ザ・ノンフィクション」(日曜午後2時)などを立ち上げた後、フジ・メディア・ホールディングス(フジHD)社長を務めた太田英昭氏(74)による回顧録『フジテレビプロデューサー血風録 楽しいだけでもテレビじゃない』(幻冬舎)が話題だ。フジが他局を圧倒した時代のことなどが克明に書かれている。太田氏に話を聞いた。

 1982年から93年までフジは12年連続で視聴率3冠王。他局を寄せ付けなかった。当時、30代から40代だった太田氏は当事者として強さの理由をどう分析するのか。

「やんちゃだったというか、野蛮だったというか。計算高さがなく、思いつきが実現していましたね。現場は実力主義そのものだった。そういうことが、あの時代の強さの根幹だったように思います」(太田氏、以下カギ括弧は全て同氏)

 おおらかな会社でもあったようだ。1990年代前半、当時は負けっ放しだった日本テレビはフジの徹底研究を行ったのだが、それにフジ社員たちは協力している。

「いろいろな社員のところに日テレの方がやって来た。フジが強い理由を問われた社員たちは『こういうことなんじゃないかな』などと脳天気に解説していた(笑)。当時のフジの連中は、まったく呑気でのどかでした」

 合理化のため、1971年にフジ本体から切り離され、子会社化していた制作プロダクションを本体に吸収合併したことも大きかったという。80年のことだ。

「4社あったプロダクションの社員2、300人が、一度にフジのプロパー社員になった。人件費増などを考えると、普通ならあり得ない話だった。ただ、そういう決断を経営側がした結果、さまざまな血がドッとフジという人体に入ってきた。大量輸血みたいなもの。それによってフジ全体の血が騒いだんじゃないかな」

 新たに社員になった人の中には、学生時代からプロダクションでアルバイトを始め、大学を中退した人もいた。正規のルートで入社した社員とは違った個性が集まった。

「フジは『オレたちひょうきん族』が、ライバル番組だったTBSの『8時だョ!全員集合』を倒したことによって、名実ともに3冠王になれた。あの番組の制作のド真ん中にいたディレクターたちは全員、プロダクションから入ってきた人たちですよ」

 当時は太田氏も熱かった。『フジテレビプロデューサー血風録』にも書かれているが、局内外での摩擦も恐れなかった。例えば1986年に始まったゴールデンタイムでの情報番組「なんてったって好奇心」のプロデューサーだったころには1970年前後の新左翼運動のイデオローグだった元京大経済学部助手と仕事をしている。ある事件での服役を終え、CM制作会社をやっていた元助手のアイディアを採用し、番組をつくらせた。

 サブタイトルは「人情びっくり、絶品びっくり、焼肉キムチ最前線」。在日韓国人、同北朝鮮人がどうして焼肉屋を開かざるを得なかったかを探り、日本と朝鮮半島の関係を人情ベースで描いた。もちろん太田氏は出自を問わず、企画と才能を買ったのだ。

 ほかにも部下の落ち度から政治団体幹部たちに謝罪のハシゴをする羽目になった時の話や、社内での衝突劇などが生々しく振り返られている。だから、この本は話題なのである。黄金期のフジのやんちゃな雰囲気が浮き彫りになっている。

 当時と今のフジでは熱量が違うようだ。2004年から10年までは2度目の黄金期を迎え、7年間連続で3冠王を獲ったものの、その後は上位に食い込めず、足踏みが続いている。

 これについて太田氏は、既に現場を去っていることから多くを語ることを避けた。

「今、やっている人たちが、それこそヒリヒリするくらい頑張っているわけだから、無責任なことは言えません」

 ただし、昔と今の社内のムードを比べ、「おとなしくなったんじゃないかな」と漏らした。

 フジが最初に上昇気流に乗り始めた1980年代前半、太田氏自身は朝のワイドショー「おはよう!ナイスディ」でチーフディレクターを務めていた。

 仕事の中身はというと、1984年に始まった山口組と一和会の「山一抗争」を徹底的に追い掛けたり、ドヤ街で暮らす人々に密着したり、医療過誤問題の追及キャンペーンを張ったり。「主婦は社会問題に関心がない」という誤った“常識”を壊し、ワイドショーの領域を広げようとしていた。

 ワイドショーは、批判にさらされることも多いが、日本人ほどワイドショーを見ている国民はいないのも事実。ワイドショーとは何か。

「一言で言えば、コンビニみたいなものですね。コンビニは利便性が高くて、大体の品がそろっている。ワイドショーもそう。日米首脳会談から温暖化の問題、事件やグルメ情報、はては芸能人のゴシップまで扱う。こんなに便利な番組はないと思いますよ。深さはそんなにないですけど。最強の情報コンビニ。ワイドショーを見れば世の中の動きが大体分かる。なくなることはないでしょう」

「ザ・ノンフィクション」の立ち上げ

 太田氏は1995年に「ザ・ノンフィクション」(日曜午後2時)を立ち上げ、軌道に乗せた人でもある。今ではフジの看板番組の1つと化している。

「あの番組は、先輩の編成局長が、僕の知らないうちに、日曜午後のド真ん中にノンフィクションの枠を作ることを決めた。他局には誰もそういう発想をした人いなかったはず」

 確かにそう。硬派ノンフィクション番組というと、放送時間帯は深夜というのが相場だ。視聴率はほとんど気にされない。

 日曜日の日中に放送される「ザ・ノンフィクション」は違う。見てもらわなくては続かない。そのため、太田氏はヒューマンストーリーになるように意識したという。

 言われてみると、同番組が一貫して追い続けているのは人間。地方から都会に来た若者たちを長期取材した「上京物語」、ホストたちの日常に迫った「ホストの前に人間やろ!」、世を拗ねた若者たちと全力で向き合う僧侶に密着した「熱血和尚シリーズ」。

 放送開始から26年。これほど人間に拘ったノンフィクション番組は珍しい。それが視聴者に受け入れられ、気がつくと、民放で最も支持されるノンフィクション番組になっている。

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