小倉智昭が明かす「とくダネ!」最大のピンチ 「相撲協会とやりあって大変なことに」

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相撲協会とのバトル

〈多彩なコメンテーターにも支えられて長寿番組となった「とくダネ!」。22年の歴史の中で「最大のピンチ」は何だったのか。〉

 最大のピンチというと、日本相撲協会とやりあったことを思い出します。09年、横綱だった朝青龍がケガから3場所ぶりに復帰するというテーマを扱った時のことです。今場所はどうなのか、という話の中で僕は当時、話題になっていた講談社と相撲協会の「八百長裁判」にひっかけて「星が買えればいいのにね」と言った。そうしたら相撲協会の広報部長、当時は元横綱千代の富士の九重さんがやっていたのですが、えらい剣幕でフジテレビに怒ってきまして。で、フジテレビが僕に謝罪しろと言うので、「なぜ謝罪するのかも含めてきっちり言わせてもらうけど、それでもいい?」と聞いたらフジテレビは「それでいいです」と。結局、番組では、「相撲協会から抗議があり、謝罪しなければ今後、大相撲の映像は一切貸さない、と。フジが勧進元をしている大相撲トーナメントもやらせない可能性がある、と。そこまで言われたら謝らないわけにはいかないでしょ」といった話をしたのですが、そうしたら相撲協会が大変なことになっちゃった。相撲協会に抗議の電話が殺到してしまったんです。

 逆に「会心の回」というと、日々やっているとあんまりないんですよね。僕らは生放送で仕事をやっていて、進行表通りに番組を進めてなんぼなんです。ただ、緊急事態が起こった場合、予定を全部飛ばして、「これで行け」ということが年に何回かあります。そういう時、僕とか笠井(信輔)くん、伊藤(利尋)くんとかは、もう急に力が入っちゃうんですよ。「よし! 出番がきた」とね。

 北朝鮮がミサイルを発射した模様、というニュースが放送開始の5分前に入ってきて、「これで行く!」となったことがありました。それから慌てて、みんなで資料を集めて、フリップを作ったり模型を持ってきたり、報道のほうから軍事に強い記者も呼んで。そうやって我々が持っている知識を寄せ集めて、ほとんど番組の全編、それで行った。ところが番組の終わりのほうで、どうやらミサイルを打ち上げていなかったということが分かった。だから最後に「今、情報が入って、打ち上げていないことが分かりました。いや、良かったですね」と。僕らの番組がそういうのをやると、数字が取れる。「とくダネ!」は災害とか事故が起こった時に特に強さを発揮して視聴率も取れて上の人は喜んでいたんですけど、我々は複雑でした。

羽鳥くんが好感を…

 最後の1年は、コロナ。これは取り上げ方が難しかったですね。お医者さんの言うことを聞けば飲食店などお店の人たちが困るし、店の言うことを聞けば、お医者さんが「これではいけない」と言う。その辺りのバランスの取り方がすごく難しかった。

 僕は高齢者でがんもやったし、糖尿病もあるので重症化するリスクは高い。だから去年の緊急事態宣言の時には、司会の僕が外に出されたんですよ。僕がリモートで自宅の書斎から出演して、あの「額縁」の中に納まって。けれど外に置かれたらみんなの顔が見えないので、司会者として回していけない。目を見れば、「ああこの人、何か話したいんだな」というのが分かって話を振ることができます。それがね、外からの出演だと行き届かなかった。だから今年の緊急事態宣言の時は、「俺は今度はイヤだよ」と、そこだけは強硬にプロデューサーに言いました。俺はここでやる、と。

 同じ時間帯の番組で一番気にしていたのは、やっぱり羽鳥(慎一)くんの「モーニングショー」(テレ朝系)ですね。コロナ禍の今、調子いいですからね。だからなぜあの番組は調子がいいのか、という視点で見ていました。そうすると、あ、これは今の我々の番組じゃできないな、といったことが見えてくる。

 やっぱり、羽鳥くんが好感を持たれているというのも好調の理由でしょうし、羽鳥くんがボードで説明する時、コメンテーター側に突っ込み役がいるのも良いのでしょう。傍から見ると、悪役的な突っ込み役がいて、政治をこき下ろす。それを、玉川徹さんというテレ朝の社員がやっているという面白さ。その特異な感じが受けているんだと思いますね。でも、彼が「報道ステーション」に出ていって、あの感覚で朝日新聞や共同通信の解説者のポジションに座れるかっていうと、それはやっぱり無理でしょう。だから情報番組にピッタリ合ったのかな。なおかつ、羽鳥くんがいるからあれだけのことがやれるんだと思います。羽鳥くんはなだめ役のポジションで、あんまりきついことを言わないですからね。

「とくダネ!」の後番組の「めざまし8(エイト)」の谷原(章介)くんもよく頑張っていると思いますよ。何しろソフトですし、あんまりみんなから嫌われるタイプじゃないと思うんだよね、僕とは違って。それがいいのか、物足りなさが出るのか、それはもう視聴者のみなさんが考えることだと思います。

〈後進に道を譲った小倉氏は、「今後」についてどう考えているのか。〉

 これから仕事として新たに何をやるのか。今、それを一生懸命考えているところです。「今後はどういう番組をやりたいですか?」って聞かれるんですけど、こういうものをやりたいというのがきちっと出てこないんですよ。音楽が好きだから音楽番組もいいなとか、インタビュー番組をやれたらな、とか断片的なことは出てくるんですけど、ぜひやりたい、という感覚にはならないですね、まだ。これまでやってきたことを考えると、これ以上のものはできないんじゃないかな、という思いもあります。

 フジテレビからは、今年のオリンピックは手伝って欲しいと言われています。僕はもう2年も前にアクレディというメディア関係者用の取材パスを取っているんですが、オリンピックが延期になっても、このアクレディを取り直すことはできない。「手伝って欲しい」のはそれが理由なのかもしれませんが。もしオリンピックの仕事が急にキャンセルになったりしたら、殴り込みをかけます。オリンピックで、また会いましょう。

小倉智昭(おぐらともあき)
秋田県出身。獨協大学卒業後、1971年に東京12チャンネル(現・テレビ東京)にアナウンサーとして入社。76年フリーに転身。「世界まるごとHOWマッチ」(TBS系)のナレーションが評判を呼び、複数のテレビ番組の司会を担当した後、99年から「とくダネ!」(フジ系)のメイン司会者を努めてきた。

週刊新潮 2021年5月6日・13日号掲載

特集「『小倉智昭』が明かす最大のピンチとは!? 『とくダネ!』22年の舞台裏」より

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