「名古屋アベック殺人」主犯少年のいま、無期懲役の身に置かれて

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「極刑をもって臨むべき」

 89年6月、名古屋地裁は中川に求刑通り死刑判決を言い渡した。「まれに見る残虐、冷酷な犯罪で、遺族の被害感情を考えると、死刑もやむを得ない」というのが、その理由だった。少年への死刑判決は、犯行当時19歳だった4人連続射殺事件の永山則夫元死刑囚=97年8月に死刑執行=以来だった。

 だが、7年半にわたる控訴審の末に、96年12月、名古屋高裁は一審の死刑を破棄し、中川に無期懲役の判決を言い渡した。判決文では、中川に対して「犯行の動機にくむべきものはまったく見当たらず、犯行の態様も残虐で、結果の重大性はいうまでもない。遺族の被害感情には今なお厳しいものがあるなど、極刑をもって臨むべきとの見解には相当の根拠がある」としながらも、死刑の選択を避けた。「控訴審の公判でも、人の生命の尊さ、犯行の重大性、一審の死刑判決の重みを再認識して、反省の度を深めていることなどの事情が認められる」(判決要旨より)など、中川に更生の可能性があると判断したのが、その理由だった。

 検察側は上告を断念し、97年1月に無期懲役が確定したことから、中川は岡山刑務所に下獄した。中川のほか犯行に加わった5人は、無期懲役や懲役13年、5年以上10年以下の不定期刑が確定している。

 刑務所内で、中川は「1類」の優遇措置を受けている。社会復帰に向けて努力させるため、服役態度などによって受刑者を1~5類に分け、区分ごとに面会や手紙の回数、所内での集会の参加回数などの幅を広げている。1類はそのトップランクで、岡山刑務所内では約30人と、全受刑者の1割に満たない「獄中エリート」だ。中川は刑務作業での事故や所内でのトラブルがなく、素行のよい「模範囚」ということになる。そのため、面会時間も1時間を許可された。

 3畳ほどの独居房に暮らす中川は、刑務所での毎日が「とにかく忙しい」という。日中の刑務作業では、金属加工工場で数値制御装置が付けられた「NC旋盤」の操作を担当している。フロッピーディスクを用いる旧式なコンピュータながら、独学で身につけた関数などの知識を生かし、プログラムを打ち込んで操作する重要な仕事だ。新幹線の部品に用いられる精密加工品を作ることもあるという。

 また、受刑者によるクラブ活動では俳句と書道を行い、そこで発表したものは、法務省主催の文芸作品コンクールに欠かさず応募している。そのほか、犯した罪や被害者のこと、日々の反省など3つのテーマを自ら決め、月に1回作文を書くことを課されており、その準備などを入念に行う。もらった手紙の返事も丹念に書き、年に2度、被害者の遺族に刑務作業で得た作業報奨金から、償いとして現金を送っている。通常の消灯時間は午後9時だが、火、木、土は特別に午後10時まで延長を認めてもらい、そうした日々の作業に充てているという。消灯時間の延長が認められるのは、もちろん中川が「1類」の模範囚だからだ。

「希望を持つようにしています」

 一般社会の生活から隔絶された、監視と規律の世界。無期懲役という、いつ出獄できるかもわからない中で、なぜ中川は絶望することなく、模範囚としての日々を送ることができるのだろうか。そのことを問うと、中川は「社会復帰という目標があるからです」と、はっきりとした口調で答えた。「社会復帰」とは、仮釈放で再び塀の外に出ることにほかならない。

「(ほかの無期懲役囚は)あまり(仮釈放を)考えないようにしている人が多いんです。でも、私はなんとか希望を持つようにしています」

 中川が無期懲役囚となったのは20代で、公判では家族が、仮釈放になれば生活の面倒をみると明言している。40代以降で罪を犯し、家族などからも見放されてしまった無期懲役囚とは「境遇」が大きく異なる。30年以上服役すれば、自分は老人となり、生きているかもわからない。頼れる身寄りなどありはせず、仮釈放など夢のまた夢、と考える無期懲役囚は少なくない。中川は、仮釈放を現実のものとして望みをつなげる、数少ない無期懲役囚なのだ。

 だが、その困難さを知らないわけではない。そのことを中川は、こう話した。

「審査も厳しく、出るのは簡単じゃないと思います。最初は(仮釈放まで)20年くらいという目標を持っていましたが、それはだんだん長くなってきています。状況は厳しいのですが、必ず出られる日が来ると信じて、毎日を頑張っていこうと思っています」

 前向きな姿勢を示す中川だが、それがいかに難しいかもよくわかっているようだった。実際、ここ数年は岡山刑務所から仮釈放になる無期懲役囚はほとんどおらず、昨年は80代の男性が1人だけだった。しかも、男性は重い病気を患っており、仮釈放後にすぐ死亡したという。

「(男性の)寿命を考えての、温情的な仮釈放だったと思います。(仮釈放の)審査を受ける人は多いのですが、ほとんど通らないのです」

 中川はそう話すと、ひざの上で手にしていた作業帽を握りしめ、やや視線を落とした。

半世紀収容されている無期懲役囚も

 仮釈放の判断は、改悛の情があって更生の意欲が認められる場合に、地方更生保護委員会が再犯の恐れがないことや社会の感情(被害者の意見含む)などを審理したうえで決定している。仮釈放を申請するのは刑務所長で、無期懲役囚自身が求めることはできない仕組みだ。ただ、こうしたやり方には「取り扱いが不透明」との批判も多く、法務省は09年に運用を見直し、服役期間が30年を超えた段階で仮釈放を許可するかどうかを一律に審理し、その後も10年ごとに必ず審理の機会を与えるようになっている。

 30年とされたのは、もちろん05年の改正刑法施行により、有期刑の上限が30年になったことが背景にある。法務当局にとって、無期懲役囚が有期の服役囚よりも早期に仮釈放されてしまう事態は避けたいだろう。

 法務省がまとめた資料では、05~14年の10年間で仮釈放を申請した無期懲役囚は209人。一覧表にはそれぞれの年齢、収容期間、罪名、被害者数および死者数などとともに、仮釈放を「許可」「許可しない」という判断結果が記されている。

 この表からもはっきりとわかるのは、仮釈放までの期間が長期化している実態だ。05年や06年は「40歳代、(収容期間)21年10月、強盗致死傷、死者1人」「50歳代、24年10月、強盗強姦・同致死、強盗致死傷、死者複数人」といった無期懲役囚に、仮釈放が許可されている。許可された無期懲役囚たちの収容期間は30年に満たないケースが多い。

 だが、09年以降は「許可しない」との判断が目立っている。09年からは、30年以上服役している無期懲役囚は自動的に仮釈放の審査にかけられるようになったため、審査の対象が一気に拡大した。そのため、従前では審査の対象にすらのぼらなかった長期服役の無期懲役囚の姿を浮かび上がらせたわけだ。

 その09年に審査対象となった無期懲役囚は24人。仮釈放が許可されたのは6人で、収容期間は26年8月、26年10月が2人、30年8月、32年2月、37年1月と並ぶ。収容期間が20年台での仮釈放もあるが、その一方で長期間収容しても仮釈放が不許可となるケースも目立つ。「70歳代、51年3月、強盗致死傷、死者1人」「70歳代、50年8月、殺人、死者複数人」など、半世紀にわたって刑務所生活を強いられている無期懲役囚も少なくない。

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