「地下鉄サリン事件」から26年、教祖「麻原彰晃」が演出したハルマゲドン
400人以上の逮捕者
平成7(1995)年のGWは、連日のようにオウム真理教の逮捕者が相次いだ。3月の山梨県上九一色村・教団施設の強制捜査を皮切りに、全国25カ所、その数は400人以上に及んだのである。それから24年後の2019年、平成最後となったその夏に、麻原彰晃以下、幹部13名には死刑が執行されることになる。
(週刊新潮別冊「さよなら平成」2019年1月25日発行より再掲)
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平成の日常からは縁遠いはずだった「テロ」を、一気に身近へと引き寄せてしまったオウム真理教。平成2年2月の衆院選では、首魁・麻原彰晃(34=当時)自ら出馬、選挙戦のさなか「信者に3億円を持ち逃げされた」と騒ぎ立てて110番通報したものの取り戻し、「勘違いだった」と1千万円の札束を両手に安堵していた。
かつて本人は会見の場で、
〈オウム真理教が、宗教であってはまずいわけだ。インチキで、金もうけの教団でなければまずいわけだろう!〉
などと、色をなして反論していたが、実態はまさしくその通りだったのだ。
前述の総選挙で麻原の得た票数は1783。その惨敗から2カ月後の2年4月、教団は沖縄・石垣島で「予言イニシエーション(儀式)」のセミナーを開催していた。1270人もの信者が南の島に集結し、その中には教祖夫人を取り囲むように井上嘉浩、早川紀代秀、端本悟らの姿も見られた。いずれも平成30年7月に死刑執行されている。
麻原はこの時、「FOCUS」の取材に対し、
〈前年(平成元年)にアマチュア天文家によってオースチン彗星が発見されたが、歴史上、彗星が接近すると第1次世界大戦やアヘン戦争など、地球に大変化が起きる。前回のハレー彗星の後には、東欧、ソ連の激動へと続いた。今回も何らかの凶兆であり、それを信者に告げるのだ〉
と、荒唐無稽な口上を述べていた。
「鬼畜道」を転がり続けて…
実は教団は当時、ボツリヌス菌兵器の開発に着手しており、セミナー中に東京の別動隊が皇居周辺や横須賀の米海軍基地近くで噴霧することで、「ハルマゲドン」の自作自演を企てていたのだ。このあたりが劇画宗教と言われる所以(ゆえん)だが、現実には菌の培養に失敗し、予言は不発に終わる。
総選挙の前年、すでに坂本堤弁護士一家を殺害していた教団は、ひたすら鬼畜道を転がり続けていく。関与した犯罪は枚挙に遑(いとま)がなく、国家転覆を企て平成6年に松本サリン事件、さらに翌年には地下鉄サリン事件を引き起こし、巷を戦慄で染め上げたのは記憶に新しい。
地下鉄サリン事件から2日後の7年3月22日、山梨県上九一色村での強制捜査に加わり、のちサリン製造の責任者・土谷正実(平成30年死刑執行)を自供させた大峯泰廣・元警視庁捜査1課理事官が言う。
「『富士の裾野にこんな拠点が……オウムとはここまで巨大だったのか』と、あらためて思いました。なぜそれまで放っておかれたのか。私が警視庁荻窪署の刑事課長代理だった平成3年、管内にはオウムの道場があった。信者を巡って家族と教団とのトラブルがよく起きていましたが、信教の自由を盾にされて何もできなかった。全国の警察が、同じように及び腰だったのです」
その実態はといえば、
「化学兵器や薬物を使う武装カルト集団でありながら、一般社会と同じような階級制度で成り立っていた。だから内部では嫉妬や欺瞞が渦巻いていて“闘争”が繰り広げられていました。理想の社会でも何でもなかったわけですが、麻原は『我々は米国に狙われている。攻撃から身を守らなくては』と優秀な若者を洗脳し、土谷なども疑問を感じることなく、これを本気で信じていたのです」(同)
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