「奇跡の大発見」から10年、田沢湖クニマスがついに“大人”になった 発見の立役者が明かした驚きの生態
「日本で一番深い」ことで知られる秋田県の田沢湖の湖畔に小さな博物館がある。この時期ならではの淡い緑とコバルトブルーの静かな湖面に溶け込むウッディーな平屋作りは、2017年に作られたと思えないくらいに、昔からそこにある佇まいを醸している。博物館の名前は「田沢湖クニマス未来館」。
いま、この博物館でちょっとしたイベントに立ち会うことができる。といっても、このコロナのご時世だから決して派手なものではないし、そもそも、誰かが企画したものでもない。あえて言うならば自然と科学の出会いから生まれた、ささやかな奇跡というべきか……。
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クニマス、田沢湖で大人になる。
「田沢湖クニマス未来館」はその名の通り、クニマスという魚が主人公の博物館だが、その名前から10年前の出来事を思い出す人もいるかもしれない。田沢湖で絶滅したはずのクニマスが、遠く離れた山梨県の西湖で見つかったという話を。遡ること10年前、2010年末のことだ。
発表された当時は「奇跡の大発見」といわれ新聞やテレビで大きく報じられたりもしたが、年を経て気が付くと、発見にまつわる記憶はどこかに行ってしまい、いまにいたる話もほとんど耳にしない。
そういえばクニマスって、どうなったのだろう?
そんなことを思いながら未来館に入れば、そこでは生きたクニマスを見ることができる。発見されたのち山梨県の水産技術センターで研究が進められ、人工孵化できるまでになったクニマスは2017年に田沢湖に戻って来て、以来、未来館の水槽でも飼育されている。そしていま、ここで見られるのが成熟したクニマスだ。
かつて田沢湖の漁師たちはクニマスを「黒い鱒」だと言っていた。また西湖でも確認される前は、冬から早春にかけて捕れるその魚を「クロマス」と呼んでいた。ただ、この“黒い”というのは、産卵期を迎えた成熟したものにしか見られない特徴で、それが今年、里帰りした田沢湖でようやく見られるようになったのだ。
興味のない人にとっては、「だからどうした」という話かもしれない。意地悪く「それって水槽の中でしょ」と言われるかもしれない。
けれども絶滅してから70年目に発見され、80年目にようやく故郷の湖のほとりで成熟した姿を見られるようになったというのは、やはり、ちょっとしたイベントだ。ささやかな奇跡と言ってもいいだろう。
若魚の時は銀色で頼りない感じの、どことなくシシャモのようにも見えるクニマスも、成熟期を迎えるとオスもメスも色が真っ黒になる。オスに限っていえば背中が大きく張り出して、鼻先もグッと曲がり、まるで別の魚のようだ。これこそが、かつて田沢湖の漁師たちが小舟を漕ぎ出して捕っていたクニマスの姿。それがいま、時を超えて田沢湖で見ることができるのだ。(水槽で育てられたので、少々大きくなり過ぎたともいわれるが)
食べるためのクニマス
ここで少しだけ田沢湖の固有種クニマスの絶滅と発見の経緯について触れておこう。
クニマスは今から80年ほど前の1940(昭和15)年に絶滅した。酸性の強い河川の水が田沢湖にひきこまれたためだ。酸性水を湖水で中和することが目的で、その先には広大な水田の開拓、さらには水力発電所の建設があった。すべては時代が求めた一大事業だったが、結果として田沢湖の環境は激変し、クニマスをはじめ多くの生き物が消えてしまった。
それがなぜ時を超えて山梨県で見つかったのか? 結論を急げば、田沢湖で絶滅する前にクニマスが西湖に移植されていたのである。
実は明治の頃から、日本中のあちこちで魚の移植事業が始まっていた。釣り魚で馴染み深いヒメマスも、もとはと言えば北海道の阿寒湖に棲む魚だったが、それが支笏湖に移され、秋田の十和田湖にわたり、中禅寺湖やら富士五湖やら……。おそらく当時の食糧事情があったのだろうが、なによりもヒメマスなどサケの仲間はめっぽう旨い。それゆえにフナや鯉を除けば小さな魚しかいない湖にこぞって放流された。いまやマス釣りで賑わう富士五湖も、移植されるまでマスの仲間がいなかったことはあまり知られていない。
そんな移植事業のひとつとしてクニマスも1930(昭和5)年と1935(昭和10)年、西湖にその卵が届けられた。10年前に見つかったクニマスはその子孫だ。
なぜ、だれも気付かなかったの?
と、そんなことを知ると、ふと、いくつかの謎が浮かんだ。「80年以上前からクニマスは西湖にいたんだろ。地元の人たちもクロマスと呼んでいた。だったら、なぜ今ごろになってクニマスであると分かったのだろう?」、さらには「クニマスって田沢湖の固有種っていうけど、他のマスと何が違うの?」……。未来館の展示は、そんな謎を微に入り細を穿つ説明で解き明かしてくれるが、すぐに行けないとなるとどうするか。
これについては、西湖のクロマスが田沢湖のクニマスの子孫であると突き止めた、発見の立役者、中坊徹次京都大学名誉教授の新刊『絶滅魚クニマスの発見―私たちは「この種」から何を学ぶか―』に詳しいのだが、この本の最初のクライマックスがこれらの謎について答えてくれる。まさに西湖のクロマスをクニマスと認めるシーンだ。
もちろん最終的にクニマスだと確認するのは、気が遠くなるような顕微鏡での研究やDNA調査の結果を受けてのことだが、そもそも「このマス、クニマスじゃないのか?」と疑問を抱かなければ研究は始まらない。この疑問を抱くシーンこそが、「なぜ誰も気付かなかったの?」に対する答えとなる。それは見た目などの分かりやすいものではなく、「いつ、どこで獲られたか」という、「コロンブスの卵」的な気付きから来ていた。
というのも、クニマスが属するサケの仲間は、ほぼ例外なく秋に浅瀬で産卵するという。北海道知床の渓流を遡る真っ赤なサケの群れをヒグマがバシャっと襲うあの光景だ。なのに、この西湖のクロマスときたら3月に獲れたにもかかわらず産卵の形跡がある。これに中坊先生は「もしや!?」と思い、獲った漁協に確認したら、やはり湖の深いところに仕掛けた網に引っかかっていた。
日本一深い湖で独自の進化を遂げたゆえに、クニマスは他のサケの仲間とは全く違う生態を獲得していたといい、その一つが深い湖底での冬産卵。そんなところから始まった研究の話は、読み進める内に、魚の奇妙な習性やら分布、ダーウィンの進化論、果ては江戸や明治の発掘文書にまで広がっていくのだから、ちょっとした科学&歴史ミステリーでもある。しかも過去の文書には、長野の野尻湖、岩手の平ヶ倉(たいらがくら)沼の他、富山や神奈川の湖にもクニマスが放流されたという記述があったそうで、さらなるロマンを膨らませてくれる。
読むそばから、あらたなクニマス探しに長野あたりに出かけたいと思ったが、コロナ禍の今は少し遠慮しておこう。もちろんゾロゾロ、ワイワイの旅行はなおさら控えたいところ。ただ、許されるのならば、ひとり各駅停車で静かに田沢湖を目指すぐらいは……。
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車窓の移ろいに見とれつつ読書にふける東北本線。半日の長旅も盛岡で最後の乗り換えを済ませば、あと1時間ほどで田沢湖駅に到着だ。夕暮れ間近の田舎道を歩いて湖に向かい、風の抜ける湖畔のベンチで読了するとしよう。翌朝は未来館で「生きている黒いクニマス」を見る。読んだばかりの自然の神秘をきっと感じるはずだ。
新緑に囲まれた深く青い湖の向こうには、雪形が浮かぶ秋田駒ケ岳が光っている。その昔、小さな丸木舟を浮かべてクニマス漁を営んだ漁師たちも、裸ん坊で群来雑魚(クキザッコ=地元の言葉で小さな魚の群れ)を追った子どもたちも、きっと同じ景色を見たはずだ。いにしえの田沢湖の賑わいを思い浮かべながら、クニマスが本当の里帰りを果たす未来に思いを馳せる旅はいつかなうのだろうか。
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