星野仙一は巨人投手をビンタ…相手チームの選手を殴った監督列伝

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 プロ野球の監督が試合中に自軍の選手や審判を殴ったり、小突いたりする行為は、これまでにも何度となくあった。だが、相手チームの選手をポカリと殴るのはよほどのことで、過去にも数えるほどしかない。今や伝説となった3つの事件を取り上げたい。

筒井の頭をポカリ

 巨人・三原脩監督の“ポカリ事件”が起きたのは、1949年4月14日の南海戦だった。0対4とリードされた南海は9回に3点を返し、なおも無死一塁で、岡村俊昭が一ゴロ。川上哲治は併殺狙いで二塁に送球したが、白石敏男が走者の筒井敬三に抱きつかれ、一塁転送を妨げられてしまう。

 白石は守備妨害をアピールし、筒井と口論になったが、直後、三原監督がベンチを飛び出し、あろうことか、後ろから筒井の頭をポカリと殴りつけた。監督が試合中にグラウンドで選手を殴ったのは、プロ野球史上初めての事件であり、三原監督は7月23日まで100日間の出場停止となった。

 前年オフ、巨人が南海のエース・別所毅彦を引き抜き入団させたことが、事件の伏線だった。以来、両チームの関係は険悪となり、翌49年4月12日からの3連戦で“遺恨対決”の火花を散らす。

 第1戦は巨人が6対5、第2戦は南海が7対6で勝ち、1勝1敗。どちらも絶対に負けられない第3戦の最終回に、筒井のプレーをきっかけに、溜まりに溜まっていたものが爆発してしまったのだ。

 そして、この事件を境に、三原の野球人生も変わっていく。同年7月に水原茂がシベリア抑留から帰国すると、巨人内部で水原監督を待望する声が高まり、三原排斥運動に発展。この結果、三原は巨人を去り、51年に西鉄の監督に就任する。昭和30年代前半に西鉄黄金時代を築き、打倒巨人の宿願をはたした三原は、その後、大洋でも日本一を達成し、知将の名をほしいままにする。すべては“ポカリ事件”から始まっていた。

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