角盈男、遠山奨志…日本球界を彩った“いぶし銀”のワンポイント投手列伝
「ラーメンに対する胡椒のひと振り」
永射とほぼ同時期にセ・リーグ唯一の左サイドとして“外国人キラー”と呼ばれたのが、角盈男(すみ・みつお、巨人)だ。
プロ入り当時は荒れ球で、投げてみないと調子がわからなかった。常に安定した力を出せるよう求めた長嶋茂雄監督は、入団2年目、79年秋の伊東キャンプで、横から投げるように命じた。
「責任はオレが取る」。
そんな長嶋監督の言葉を信じて精進した角は、81年に最優秀救援投手のタイトルを獲得するなど、抑え、セットアッパー、ワンポイントの三役をこなし、423試合連続リリーフの日本記録(当時)をつくった。ワンポイントは1球がチームの勝敗を分けるわけだから、しんどいですよ。ラーメンに対する胡椒のひと振りだと思います」の表現は、言い得て妙である。
そんな角の連続試合リリーフ記録を更新したのが、清川栄治(広島→近鉄→広島)である。広島にドラフト外で入団した清川は、「プロで生き残っていくためには、左打者を完璧に抑えなければ」と自ら横手投げに変えて、1軍定着を目指した。
そして、4年目の87年にリリーフとして、快記録を生む。5月16日の巨人戦から6月26日の阪神戦まで6試合にまたがり、27人連続アウト、“リリーフ版完全試合”を達成したのだ。その内訳は、三振12、内野ゴロ4、内野飛球3、外野飛球7、犠打1という、まさに圧巻のピッチングだった。
だが、ノンフィクション作家・澤宮優氏の『ドラフト外』(河出文庫)によると、「自分の中の記録として大事にしたいのです」という理由でこの記録を公表しなかった。このため当時の新聞には、パーフェクトの「パ」の字も載っていない。
その後、近鉄に移籍して97年に当時のプロ野球記録、438試合連続リリーフを達成し、角が持っていた記録を塗り替えた。現役生活15年で一度も先発はなく、リリーフ投手を貫き通した野球人生だった。
「顔を見るのも嫌だ」
最後にもう一人。ワンポイントでの貢献が認められ、オールスター出場をはたしたのが、前半で触れた遠山奨志(阪神→ロッテ→阪神)である。
ロッテ移籍後、打者転向も芽が出ず、97年に自由契約。テストを経て復帰した阪神で再び投手になると、横手投げにモデルチェンジし、99年5月22日の巨人戦で史上最長ブランク(当時)の10年ぶりの白星。その後も、“松井キラー”や葛西稔と一塁-投手を交代しながらの登板リレー(いわゆる遠山・葛西スペシャル)など、野村ID野球の“申し子”になった。
99年6月13日の巨人戦では、石井浩郎を敬遠し、6打数無安打に抑えている松井と勝負。得意のシュートで空振り三振に打ち取り、松井に「顔を見るのも嫌だ」と言わせた。同年は自己最多の63試合に登板。翌年は、監督推薦でプロ15年目のオールスター初出場を果たし、イチローとの球宴対決も実現している。
来季以降、米国に倣ってワンポイントを廃止すれば、こうした“いぶし銀の仕事師”が現れなくなってしまう。野球ファンからすれば、それは少し、いや、かなり寂しい気がする。
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