今も根強い人気「ヤンキー映画」の系譜 原点は「ハイティーン」か「ビーバップ」か

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 コンプライアンス最優先で行儀の良さが強く求められる時代になったが、ヤンキー映画のニーズはなくならない。主人公がスクリーンの中で暴れ回るのを観ると、憂さ晴らしになるからではないか。ヤンキー映画とその役者の系譜を辿る。

 まずヤンキー映画の第1号について書きたいが、実はこれを定義するのは難しい。

 仲村トオル(55)と清水宏次朗(56)が主人公のトオルとヒロシに扮した1985年の「ビー・バップ・ハイスクール」(那須博之監督)とするのが一般的な見方だが、近藤真彦(56)が主人公・藤丸翔を演じた82年の「ハイティーン・ブギ」(舛田利雄監督)と見る向きもあるからだ。

「ハイティーン」の原作は人気漫画。近藤が演じた翔は財閥の御曹司だが、父親に反発して家を飛び出し、暴走族のリーダーになる。青春映画にありがちな設定だ。

 その後、高校の同級生・桃子(武田久美子、52)に惚れ込む。それを煙たがった桃子が、族を辞めたら付き合ってもいいと言う。近藤の同名ヒット曲の歌詞と重なるストーリーだった。

 こう書くとヤンキー映画に属すると思うだろうが、近藤がアイドルなのでかなりマイルドに仕上げられており、それが第1号と言い切れない理由である。当時、たのきんトリオを組んでいた田原俊彦(59)と野村義男(56)も翔の仲間役で出演していた。

 それ以前にも不良中高生たちが登場する映画はあったのだが、ヤンキー映画とは言い難い。例えば故・松田優作さんがハードボイルド教師役で主演し、舘ひろし(70)がワルを束ねる生徒役を演じた76年の「暴力教室」(岡本明久監督)の場合、飛びきり悪い不良高校生の生態を大人の視点で描いた映画だった。

 ターゲットとする観客も大人。登場する生徒たちはナイフを投げるわ、シンナーを吸引するわ、レイプはするわと無法の限りを尽くした。成人指定はなかったものの、およそ中高生向けとは言えなかった。

 一方、「ハイティーン」も「ビーバップ」も中高生がメーンターゲット。コミカルな味付けが施されていた「ビーパップ」はごく普通の十代の観客がエンターテインメントとして楽しめた。この作品をヤンキー映画の第1作と見るのが妥当だろう。

 原作は1983年に連載が始まった超人気漫画。計48巻の単行本は4000万部に達した。驚異的だった。どうしてそんなに売れたのかというと、背景に空前のヤンキーブームがあったからだろう。

 1980年代、ヤンキーは1つのカルチャーだった。平成世代にはピンと来ないかも知れないが、ヤンキーには独特のファッションやライフスタイルがあり、それに傾倒する中高生がごまんといたのだ。

「今はヤンキーですが、大人になったら裏社会の人間になります」なんて考えを持つ中高生はごく少数派だった。ヤンキー=非行少年ではなかったのである。

 どれくらいヤンキーのカルチャーが広まっていたかというと、まず男子高校生の間でリーゼントが大流行。学校によってはリーゼントの生徒が半数を軽く超えていた。当時を知る人ならご記憶だろう。それだけではない。額の両脇上には青々とした剃り込みを入れていた。額の見た目が鬼の角のようになっていた。

 リーゼントに出来ない丸刈りの野球部員にも剃り込みは普及した。剃り込みを入れたまま甲子園に出場した強者もいた。

 一方、ヤンキー女子は茶髪で聖子ちゃんカット。この髪型はニュートラとハマトラからヤンキーまで似合う汎用性の高い優れた代物だった。ただし、ヤンキー女子の場合は眉を極細にすることを忘れなかった。

 ヤンキーの必須アイテムだったバイクも売れに売れた。1982年がピークで年間約328万5000台。今の同40万台以下とは比べようもない。

 漫画版と映画版の「ビーバップ」のトオルとヒロシもヤクザ予備軍だったわけではなく、ヤンキーをカルチャーと考えていたらしく、シンナーや万引き、恐喝の類は決してしなかった。ケンカはやったものの、弱い者いじめはしなかった。

 だから中高生が映画館に大勢詰めかけた。2人が悪行三昧だったら、観客は引く。第1作が当たったので1988年までに計6作がつくられた。

 今では実力派役者の1人である仲村はこの映画がデビュー作。オーディションで選ばれた。当時の観客の一般的な仲村評は「マジメそう」。それを不満とする声もあった。

 もっとも、そのころの仲村は専修大に通う普通の学生だったのだから、マジメそうなのは当たり前。仁侠Vシネ界の新スターを選ぶわけではなかったのだから、マジメで良かったのだ。事実、仲村が演じたマジメそうなトオルはやがて大人気となる。

 もう1人の主演である清水は1980年代前半に一世を風靡した竹の子族の出身。東京・代々木公園横の歩行者天国で踊っていたところをスカウトされた。故・沖田浩之さんと同じである。現在は体調を崩しており、役者の仕事を休んでいる。

 今や「Vシネの帝王」と呼ばれる小沢仁志(58)も出ていた。2人と対立するヤンキー、ヘビ次こと中村竜雄役である。当時から顔の“圧”が人並み外れていた。

 小沢は現在、「日本極道戦争シリーズ」などおびただしい数のVシネに主演している。ほぼ100%ヤクザ役である。一方で2015年にはコミカルな面もあるヤンキー映画「レジェンド最凶覚醒」で伝説の番長に扮し、若手役者たちと共演した。いまだヤンキー映画への愛を忘れていないようだ。

 1987年にヒットしたヤンキー映画が「湘南爆走族」(山田太樹監督)。やはり人気漫画が原作。ほぼ新人だった江口洋介(53)が主演に抜擢され、暴走族・湘南爆走族(湘爆)の2代目リーダーである江口洋助を演じた。名前の読みが同じだが、これは奇跡的な偶然である。

 この映画での江口の髪型は紫色に染めたリーゼント。バイクにまたがる時は白い特攻服(暴走族のユニフォーム)を着込んだ。意外なくらい似合っていた。眼光が鋭く迫力があったからだろう。小沢のように今もヤンキー映画や仁侠Vシネに登場していたら、その道で大スターになっていたに違いない。

 洋助の相棒で親衛隊長の石川晃役にオーディションで起用されたのは、これがデビュー作だった織田裕二(53)。「親衛隊長って何?」という人もいるだろうから説明すると、リーダーの護衛役で族のナンバー2である。ほかにも特攻隊長などの役職があった。

 無論、織田もリーゼント。3色のメッシュを入れていた。こちらも目力が強いので、ヤンキー役はハマっていた。やはり仁侠Vシネ界でも大成したはずだ。

 族にはバイクが欠かせない。江口が乗ったのはGS400(スズキ)で織田はホークCB400T(ホンダ)。ともに走行性にバツグンの安定感があり、全国のヤンキーが愛した名車だ。どちらも非純正品の改造用パーツがふんだんにあるところもヤンキーには魅力だった。

 族同士の乱闘シーンはあったものの、全体的にコミカルに仕立てられていた。洋助には高校の手芸部部長という一面もあった。観客の多くはヤンキーをカルチャーとして捉えていたのだから、リアル過ぎるのはマイナスだったのである。

 この映画にも今は「Vシネの帝王」と呼ばれる役者が出ていた。湘爆と敵対する族「横浜御伽」のリーダー・城崎役の竹内力(57)である。

 竹内と言うと、すぐ思い浮かぶのはVシネ「難波金融伝・ミナミの帝王シリーズ」(1992年~)だが、2011年には抱腹絶倒のヤンキー映画「ヒロミくん!全国総番長への道」に主演している。当時47歳ながら、全国制覇を目指す高校1年生役を演じた。初々しさは皆無で「どこが高1だよ」だった。

2000年代ふたたびのブーム

 1990年代に入ると世間のヤンキーブームは終焉し、ヤンキー映画も減った。ところが2000年代に入ると増加に転じる。

 この頃、1980年代のヤンキーファッションを取り入れた氣志團がメジャーデビュー。一方で新たなヤンキーたちの姿を浮き彫りにしたドラマ「池袋ウエストゲートパーク」(TBS)もヒットした。時代が再びヤンキーカルチャーを求め始めた。

 2007年に生まれたヤンキー映画の名作が小栗旬(38)主演の「クローズZERO」(三池崇史監督)。ヤンキーばかりの高校のテッペン争いが描かれた。小栗が扮した滝谷は転校生ながら校内の制圧を目指した。

 滝谷は凶暴で、普段は好青年風の小栗とはまるで違うキャラ。髪型はツーブロックで襟足を長く伸ばしていた。リーゼントはもうヤンキーの証ではなくなったのだ。半面、学生服は短ラン(丈がベルトの位置までしかない)で、往年のヤンキーたちと一緒だった。

 ヤンキー高校生の学生服は基本的に3パターン。洋ラン(丈がくるぶしの付近まである)、長ラン(丈が膝付近まである)、そして短ランだ。いずれの学生服も裏地がド派手で、「夜路死苦」などと書かれた刺繍が入っていた。

 仁侠Vシネの長編シリーズ「日本統一」に主演中の本宮泰風(49)は高校時代、洋ランを着ていた。よく東京・渋谷の街でケンカを売られたそうだが、そりゃそうだろう。

 1980年代の愛すべきヤンキーたちを振り返った映画が同じ2007年の「ワルボロ」(隅田靖監督)。松田翔太(35)が主演で中学3年生の優等生・コーちゃんに扮した。

 ところが、好きな女子(新垣結衣、32)の見ているところでヤンキーに絡まれたことから、自分もヤンキーに変身する。女の子にモテたいからヤンキーになるという話は実際にあった。

 2009年の映画「ROOKIES-卒業-」(平川雄一朗監督)はTBSの人気ドラマの続編。熱血教師(佐藤隆太、40)と市川隼人(34)や佐藤健(31)らヤンキー野球部員が甲子園を目指した。感動作だった。

 実はスポーツとヤンキーの親和性は意外と高く、ほかにもバレーボールとヤンキーを組み合わせた2008年の映画「工業哀歌 バレーボーイズ THE MOVIE」(高明監督)などがある。

 ラブストーリーの色合いが濃いが、ヤンキーや元ヤンキーたちが愛してやまないのが映画「ホットロード」(三木孝浩監督)。原作はヤンキー黄金期だった1986年に発表された漫画。ファンの間でずっと映像化が待ち望まれていた。

 母と2人で暮らす14歳の少女・和希(のん、27)と不良チームの少年・洋志(登坂広臣、33)の物語。2人は惹かれ合うが、洋志がチームのリーダーになり、抗争に巻き込まれてしまう。主題歌「OH MY LITTLE GIRL」(故・尾崎豊さん)が効果的だった。

 今年7月にはヤンキー映画の大作「東京リベンジャーズ」(英勉監督)が公開される。どん底人生を送っていた主人公のフリーター・武道(北村匠海、23)がヤンキー学生だった10年前にタイムスリップ。やり直し人生で不良組織「東京卍曾」のトップを目指す。

 ヤンキー映画の歴史はまだ続くだろう。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て、2016年、毎日新聞出版社入社。「サンデー毎日」記者、編集次長を歴任し、2019年4月に退社し独立。

デイリー新潮取材班編集

2021年5月5日掲載

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