夏の風物詩「ラムネ」が大ピンチ… コロナで4社が撤退、お祭り中止が痛手に
最盛期の2000社から現在は33社に…
5月4日は「ラムネの日」である。1872年(明治5年)に東京の実業家がラムネの製造販売をはじめた日がその由来だ。以来、長きにわたって、日本人の喉を潤してきたラムネ。ところが、折からのコロナ禍によって、ともすれば日本から消えてしまいかねない状況になっている。
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しばしば混同される「サイダー」との違いは、容器にある。「玉」で栓をされたサイダーが「ラムネ」と呼ばれ、英語の「レモネード」が由来だという。
「玉で蓋をする瓶は『コッド瓶』と呼び、19世紀ごろにイギリスからやってきたものです。その後、蓋は『王冠』に取って代わられ、結果、いまでは日本以外ではほとんど見かけなくなりました。インドでも使われているとも聞きますが、炭酸の保存というよりは、単に飲料の容器としての利用みたいですね。ですから『ラムネ』は、日本独自の飲み物と言えるでしょう」(清涼飲料水評論家の清水りょうこ氏)
ひと昔前は日本の各家庭でも当たり前のように飲まれていたラムネだが、コーラなどの炭酸飲料が浸透するにつれ、現在ではお祭りの縁日や観光地などで見かける飲み物になった。
「まだ大手飲料メーカーが参入していなかった昭和20年代の後半頃がラムネの最盛期で、日本全国に2300カ所の製造所がありました。戦艦大和にもラムネ製造機を載せていましたからね」
と解説してくれるのは、日本ラムネ協会会長で、炭酸飲料などを製造販売する「木村飲料株式会社」(静岡)の木村英文社長である。
「ところが、今、ラムネの作り手は減り、ラムネ協会に参加している業者は33社になってしまいました。コロナのあおりをうけ、去年から今年にかけて4社が廃業、またはラムネ製造から撤退してしまったのです」
そのうちの1社である広島県の「山田飲料工業所」が昨年末に廃業していたことはニュースにもなった。90年の歴史がある工業所だが、80歳を超える経営者の後継が見つからず、廃業となったという。
前年比マイナス76%
脱退した4事業者とはべつに、協賛企業だったラムネの香料を取り扱うメーカーも、ラムネ協会を脱会した。コロナの巣ごもり需要を受け、家庭内消費量は拡大したといわれる炭酸飲料。にもかかわらずラムネ業界が大きな打撃を受けているのは、お祭りや花火大会、運動会といった機会に飲まれることが多いからだ。
「やはり『ハレの日』に飲まれる飲み物ですが、コロナでイベントは軒並みなくなりました。観光地も閑古鳥ですから『ご当地ラムネ』商品が売れず、また居酒屋さんに出荷しての“ラムネ割”需要も、お店の営業時間が規制されて、やっぱり売れません。当社では他ジャンルの飲料も取り扱っていますが、ラムネの落ち込みが一番大きいですね」
業界団体である日本清涼飲料連合会は「ラムネだけの統計はとっていません」というが、“おそらく当社が業者の平均的な売れ行きでは”という木村飲料の数字からは、ラムネ業界の苦境のほどがよく分かる。
2019年に131万9000本を出荷していた「ガラス瓶のラムネ」は、20年には85万5000本に(前年比-35%)。同じく19年に116万本を出荷していた「プラ容器のラムネ」は、20年には27万9000本になってしまった(前年比-76%)。今年21年は20年と同量の生産に留めているという。
「ガラス瓶のラムネは、賞味期限が長いので、まだ売れたんです。問題はプラ容器のほうです。軽くて取り扱いやすいのですが、ガラスと違って炭酸が抜けやすく、長くはもたない。昨年は夏に向けて造っていましたが、縁日などが中止になり、売りそびれてしまった。本来、100円から130円くらいで販売しているものを2本で100円として売ったりもしたのですが……多くが廃棄になってしまいました」
ラムネ業界ではこのほか、一度つかった瓶を洗って再利用する「リターナブル瓶」で販売している業者もある。
「当社ではリターナブルはやっていないのですが、瓶を製造する下請け業者さんに聞くと、そういう業者さんはさらに大変そうです。なにせラムネが売れないと瓶が返ってきませんから、詰めるに詰められず、廃棄の量が多いのです。業者さんの見立てでは、そうしたところでは売り上げが10分の1になったのでは、と言っていましたね」
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