近藤真彦、ジャニーズ退所でわかった人望 間違いなく失う象徴的な仕事は?
マッチこと近藤真彦(56)が40年所属したジャニーズ事務所を退所した。近藤は昨年11月、25歳年下で会社社長の女性との5年におよぶ不倫が発覚。その責任を取る形で芸能活動を無期限自粛中だった。
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デイリー新潮は不倫発覚直後の昨年11月21日、近藤がジャニーズ事務所内で孤立し、窮地に立たされていると報じた。事務所内の情報を得てのことだった。その時点で近藤の退所か引退は既定路線だった。
どうして事務所内で孤立すると退所か引退しかないのかというと、復帰の後押しをしてもらえないからだ。もともとテレビのレギュラー番組はなかったが、後押しがないと単発での出演も絶望的。ここ20年、ヒットがないのだから。
後押しはないが、芸能活動は再開したいというなら、退所して自分を強力に支えてくれるスタッフを新たに集めるしかない。あるいは引退である。
不倫による自粛が始まった直後、一部メディアは「マッチは別格」と報じた。だから痛手にはならないと論じた。理由をメリー喜多川名誉会長(94)の庇護下にあるからだと解説したが、それは実状とまるで違う。
メリー氏は昨年9月に代表権のない名誉会長に退いた後、長女の藤島ジュリー景子社長(54)に実務に関する権限の全てを委譲した。また、高齢であることから「体調が心配されている」(レコード会社幹部)という状態。もはや近藤の不倫についてジャッジする立場ではない。
近藤の不倫問題はジュリー氏がほかの経営陣と相談して対処を決めた。2年前に副社長に就任した滝沢秀明氏(39)らと話し合った。もう故・ジャニー喜多川氏(享年87)とメリー氏が二人三脚で事務所を牽引していたころとは何もかもが違うのである。
近藤の事務所内での孤立は不倫発覚前から始まっていた。どうしてなのか。
「近藤さんは1980年代に次々とヒットを出し、事務所を支えた立役者なので、ヒットが途絶えた後も特別扱いされていました。けれど、近藤さんの活躍は若い所属タレントにとっては自分が生まれる前の話。近藤さんの特別扱いを若手は素直に受け止められなかった」(同・レコード会社幹部)
今でこそ「帝国」とまで呼ばれるジャニーズ事務所だが、1975年に郷ひろみ(65)が移籍し、1978年にフォーリーブスが解散した後はスター不在で苦戦。そこに現れたのが近藤だった。「スニーカーぶる〜す」(1980年)、「ギンギラギンにさりげなく」(1981年)、「ハイティーン・ブギ」(1982年)などを次々とヒットさせた。事務所の救世主だったと言っても過言ではない。
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