30年にわたり“わいせつ診療”を行った医師 法廷で語ったあり得ない“犯行動機”

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被害者家族の憤り

 そもそも被告は斉藤医院に移る30年前からこうした行為を続けている。“外科を離れたことによるストレス”という犯行理由はにわかに信じ難い。かつてわいせつ行為を続けていたある患者が「ぷっつりと診察に来なくなった」ことについて問われた際には、「不安に思ったことがあったが、そこまで大きなことにならないだろうと。やめようとは思わなかった」と証言している。この言葉からは、緻密な嘘の積み上げにより、犯行が露見することはないと自信を持っていたことがうかがえる。

 被害者の心の傷が癒えることはない。法廷では、被害者代理人が次のように述べている。

「事件にあった直後は気持ちを消化できず、医院の前を通ると記憶が蘇った。人に被害を言えなかったのは、自分だけがそう思っているのかもしれないということと、家族が逆恨みされるのではという恐怖でした。そのため心に止めると決めていました。2020年になり、警察から連絡が来て、被告のやったことが犯罪行為だとわかり、私の被害妄想ではなく本当に被害にあっていたんだと知りました。母はずっと自分を責めています。泣きながら『辛い思いをさせてごめんね』と謝ってきます。どうして被告ではなく母が謝るのか……家族も被害者です」(被害者代理人による陳述)

 苦しんでいるのは被害者だけではない。ほかの被害者女性らの家族も、こう明かしている。

「娘が幼稚園の頃から斉藤医院にお世話になっていて、当時、まだ中学生だった娘の診察に付き添いました。カーテン一枚隔てた場所で娘は被害に遭っていた。どうして気づいてあげられなかったんだろう……。娘は何ヶ月かして、布団から起きて来なくなりました。大粒の涙を流し『行きたくない、胸を触られた』と聞かされました。どんな気持ちで過ごしていたか。誰にも相談できず絶望的な気持ちだったと思う。医師として信頼していただけに私自身もダメージが大きい」(被害者Gさんの母による陳述)

「逮捕を知り娘に連絡すると街中で過呼吸になった。帰宅後二人で話した。娘は自分が被害者だったという衝撃よりも、病気ではなかったという安心が大きかった。嘘の病名を告げられ『たぶんこの病気ではないか』などと言われることがどれだけの恐怖か」(被害者Bさんの母親による陳述)

 事件後、守屋被告は妻から離婚を言い渡され、子供たちとも縁が切れた。現在、斉藤医院は閉院している。情状証人として出廷した医師の実兄も、出所後に面倒を見る気はないと証言している。

「私の住んでいる地域は狭く、弟が医師をしていたことも皆知っている。同居して、医師ではないとなると、弟の起こした事件を宣伝するようなもの。とても同居は無理です」

 医師免許も家族も、全てを失った守屋被告。今年1月に懲役10年の判決が言い渡されたが(求刑懲役13年)、のちに控訴している。

高橋ユキ(たかはし・ゆき)
傍聴ライター。福岡県出身。2006年『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』でデビュー。裁判傍聴を中心に事件記事を執筆。著書に『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』『木嶋佳苗劇場』(共著)『つけびの村  噂が5人を殺したのか?』など。

デイリー新潮取材班編集

2021年5月3日掲載

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