王貞治、江夏豊が語っていた…往年の名選手の信じられない“超人的感覚”
「球が止まって見えた」
「アドレナリンが出て、ボールがよく見えた。止まっているんじゃないか、と」
昨年12月7日、48歳にしてトライアウトに挑戦した新庄剛志氏が4打席目に左前タイムリーを放った瞬間を振り返って口にした言葉である。サービス精神旺盛な新庄氏ならではの誇張的表現と受け止めつつも、「あり得るかも」と思ったファンも少なくないはずだ。
実際、過去にも、信じられないような“超人的感覚”を体験した選手は存在した。最もよく知られているのが、巨人・川上哲治である。1950年8月末、多摩川で打撃投手を相手に特打ちを続けていた川上は、100球を過ぎた頃から、「動いているはずの球が止まって見えた」という。
その後は無我の境地で鋭いライナーを飛ばしつづけ、急に球が来なくなったので、我に返ると、打撃投手は息が上がりゼエゼエ。捕手も汗びっしょりで膝をついており、すでに300球も打ち込んでいたことを知った。同年、川上はシーズン2度の1試合3本塁打を記録し、翌年には当時のセ・リーグの最高打率.377を樹立している。
2度の首位打者に輝いたヤクルト・若松勉も同様の感覚を体験している。『豪打列伝2』(文春文庫)によれば、2度目の首位打者を獲った77年の1年前あたりから、自分の体がボールにスーッと吸い込まれていくような感覚に出会った。長くて1週間程度しか続かなかったが、「アッ、これが川上哲治さんのいう、ボールが止まって見える、ということかな」と思い当たったという。
独自の感覚が“異変”を察知
一方、大毎・榎本喜八は、63年の7月中旬から2週間余りにわたって、毎日火の出るような豪打を連発し、11試合で43打数24安打、打率.558を記録。この状態を“本筋”と表現した榎本は「自分の脳裡に自分のバッティングの姿がよく映るんです。目でボールを見るんじゃなくて、臍下丹田でボールをとらえているから、どんな速い球でもゆるい球でも精神的にゆっくりバットを振っても間に合うんです」(『豪打列伝』文春文庫)と説明している。ちなみに、臍下丹田とは、臍へそから下に三寸(約9センチ)の所である。
通算868本塁打を記録した巨人・王貞治も70年頃、「ボールの縫い目が見える」と表現しているが、打席が通常より広くなっていることを指摘して周囲を驚かせたのが、75年6月19日に川崎球場で行われた大洋戦だった。
この日6回に3ランを放ったものの、残り3打席を凡退した王は試合後、「去年とボックスの大きさが違う」と球場整備員に指摘した。詳しく調べてみると、半月前にラインを引き直したときに、目印が消失していたため、間違えて大きめに線を引いてしまったのが原因だった。「僕はホームベースを基準にして足の位置を決める」という長年の習慣によって培われた王独自の感覚が、他の打者や整備員が気づかなかった“異変”を察知したのである。
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