清原和博だけではなかった! 7人もいる通算2000本安打の“無冠の帝王”たち

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 スポーツなどのある分野で実力を有しながらも大きなタイトルを1つも獲得できないでいる人は「無冠の帝王」と呼ばれる。プロ野球でいえば、もちろん投手にも「無冠の帝王」がいる。例えば、阪急一筋に867試合に登板し、歴代9位となる254勝をマーク。引退後は監督も務めた梶本隆夫は通算200勝以上の24投手の中では唯一タイトルを獲得していない(最多奪三振を1956、57年に獲得しているが、当時連盟表彰なし)。まさしく「無冠の帝王」といってもいいだろう。くわえて、梶本は200勝以上の投手の中で、通算成績は254勝255敗と唯一の負け越し投手でもある。

「24歳10カ月」で達成

 しかし、「無冠の帝王」というと、やはり打者にこそ、その称号がふさわしいのではないだろうか。そして、その言葉の響きに最もマッチする選手といえば、誰もが思い出すのが清原和博(西武~巨人~オリックス)だ。

 清原は、PL学園の4番打者として甲子園を沸かせ、甲子園通算最多本塁打記録13本を引っさげて、86年にドラフト1位で西武に入団。いきなり1年目から打率.304、31本塁打、78打点の高卒新人記録を樹立する大活躍を見せた。

 それ以来、サヨナラ安打20本、サヨナラ本塁打12本、13年連続20本塁打以上、オールスター戦MVP7回などの日本記録や、通算本塁打100号・150号・200号の最年少達成記録など、さまざまな足跡を残すとともに、23年間の現役生活で通算2122安打、525本塁打、1530打点を記録している。清原が球史に名を残す偉大な選手の1人であることは間違いない。

 ところが、これだけの成績を挙げた清原が最高出塁率(2回・90年、92年)、最多勝利打点(88年)、ベストナイン(3回)、ゴールデングラブ賞(5回)は獲っているものの、首位打者・本塁打王・打点王の打撃3部門は何1つ獲得していないのである。

 元来、清原はアベレージヒッターではなかっただけに、規定打席をクリアして打率3割を超えたのは、ルーキーイヤーの86年と90年の2回しかなく、首位打者は望むべくもなかったが、本塁打王と打点王はどちらも惜しい年があった。

 本塁打でいえば、西武在籍の最終年となった96年は前年に負った右肩脱臼も癒え、88年以来8年ぶりの全試合出場となった年だ。この年、清原は4年ぶりの30本塁打以上となる31本塁打をマークしたものの、本塁打王はニール(オリックス)の32本に1本差で涙を呑んだ。

 また、打点王は92年、西武時代では最多となる96打点(生涯最多打点は巨人時代2001年の121打点)を挙げるもブーマー(オリックス)の97打点にこちらも1点及ばなかった。ちなみに、この年の6月26日、清原はオリックス戦で14号2ランを放ったが、これが通算200号で王貞治(巨人)の持っていた最年少記録25歳4カ月を破る「24歳10カ月」での達成となった。

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