田淵、岡田、高山……阪神「大卒ドラ1」で考える「佐藤輝明」が今年目指すべき数字

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チーム主力4人の成績は

 ここからは新人王は取れなかったものの、のちにチームの主力打者として活躍した4人である。最初の1人目はあの85年の“バース・掛布・岡田”の強力クリーンアップの後の6番を打っていた選手として、古くからの虎党にはおなじみの佐野仙好だ。

 主に左翼手として活躍した。中央大時代は1年春から三塁手のレギュラーとして起用され、東都大学野球デビュー。在学中はリーグ全試合出場を果たし、70年秋にはリーグ4人目となる1年生での首位打者を獲得。ベストナインも2回受賞した。

 73年ドラフト1位で入団すると、プロ1年目は本職の三塁手以外に一塁手を兼ね、61試合に出場し、うち43試合に先発出場を果たしている。143打数34安打で打率2割3分8厘、11打点、2本塁打という成績であった。

 次は96年のドラフトで球団史上初めて逆指名で入団した大卒野手である。今岡誠だ。93年春に東都大学野球の東洋大学に進学すると、遊撃手としてリーグ戦通算89試合に出場し、ベストナインに2度選出。在学中は96年のアトランタオリンピックにも8番・二塁手として出場し、なんと打率4割3分5厘をマークしている。

 プロ1年目、前半戦は主に三塁手で、後半戦は二塁手として起用され、98試合に出場を果たした。252打数63安打で打率2割5分、2本塁打、20打点という数字を残している。

 3人目は今も千葉ロッテマリーンズで現役を続行している鳥谷敬だ。00年春に早稲田大に入学すると、いきなり3番・正遊撃手に抜擢され、2年春には東京六大学野球史上最速タイで三冠王を獲得した。

 在学中の全試合にスタメン起用され、リーグ戦通算96試合に出場。遊撃手として5度のベストナインに選出されるなど、3年春から4年秋までのチームリーグ4連覇に貢献した。

 03年のドラフト会議で自由獲得枠を行使して入団。すると翌年の開幕戦で、前年の正遊撃手だった藤本敦士を押しのけて“7番・遊撃手”としていきなりスタメンデビューを果たすことに。プロ1年目は101試合に出場し、235打数59安打で打率2割5分1厘、3本塁打、17打点という成績であった。

 最後は現在の虎の主砲・大山悠輔である。13年春に関甲新学生野球リーグの白鴎大に進学すると、即、三塁手として起用された。4年間でベストナインに輝くこと3度。特に4年春には打率4割1分7厘、リーグ新記録の8本塁打、タイ記録の20打点を達成し、本塁打王と打点王の2冠も獲得している。

 大学4年の夏には日米大学野球の日本代表として全5試合で“4番・三塁手”としてスタメン出場を果たした。16年のドラフト会議で1位指名され、入団。チームの育成方針などから開幕は2軍で迎えたものの、6月下旬に1軍に昇格すると、クリーンンナップに起用されるなど、75試合に出場して198打数47安打で打率2割3分7厘、7本塁打、38打点を記録している。

 この7本塁打のうち、プロ1号は公式戦初安打で初打点、さらに決勝点となるおまけつき。また、6本目は4番打者として放ったものだった。阪神の新人野手が1軍公式戦でスタメン4番起用されたのは、64年の富恵一以来、53年ぶりの快挙で、かつ新人4番打者の1発は1リーグ時代を含めても球団初の出来事であった。

「適正な打撃成績」は……

 さて、以上で7人の先輩虎戦士たちの成績が出揃った。これらの数字を平均値にし、佐藤のプロ1年目の適正な打撃成績を考えてみよう。

 安打数の平均は75.57で打率は2割5分2厘という数字が出た。打点は37.28で最後の本塁打数は8.857という数字となっている。以上のことから安打数は80本前後、打率は2割5~6分、打点は40、本塁打数は10本といったところだろうか。ただ、本塁打数は10本を超えることはほぼ確実だし、新人王を狙うならば、新人王を受賞した3人の数字に近い成績を狙いたいところ。そうすると安打数は100、打率は2割6分~7分、打点は60、そして本塁打数は15~20本という数字になろうか。まずはこれらの数字をクリアすることを期待したい。

上杉純也

デイリー新潮取材班編集

2021年4月28日掲載

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