覚せい剤密輸“オランダ人運び屋”に逆転無罪判決 釈放後語った「ハニートラップと絶望の獄中生活」

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 スーツケースの中に覚せい剤を隠して密輸しようとしたとして、一審で有罪判決を受けていたオランダ人男性に逆転無罪判決が出た。「覚せい剤が隠されていたとは知らなかった」という男性の訴えが認められたのだ。誰一人、身寄りがいない異国で、2年に及んだ勾留生活。彼がかかった“ワナ”とは何だったのか。釈放された翌日、男性がインタビューに答えた。

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はじまりは「出会い系サイト」だった

 男性の名前はヴァン・ミンダーハウト・ロナルドゥス・アドリアヌス・ピトラスさん(46)。ピトラスさんはオランダで、市の清掃作業員として不自由なく暮らしていたという。だが、2年前、出会い系サイトで知り合った女性から、ある“頼まれごと”を依頼されたことから運命が変わってしまった。

 一審から国選弁護人として、ピトラスさんの弁護を担当してきた西脇亨輔氏が語る。

「彼が、鉱山会社に勤めているという女性から持ちかけられたのは、東京から“金”を持ち帰ってほしいという話でした。必要な手続も済んでいると言われ、報酬として2000ユーロを提示された。彼は女性に夢中になってしまい、彼女のためならと引き受けてしまったのです。これまで外国に旅行した経験がほとんどなかったので、飛行機に乗って海外で仕事することに魅力を感じたとも話しています」

 2019年5月、女性からの指示でオランダからスペインへ渡ったピトラスさん。スペインの空港で女性と連絡を取ると、持ってきたカバンについて聞かれたという。

「彼が自宅から持ってきたのはスポーツバックだったのですが、それを写真に撮って女性に送ったところ、『それでは金が運べない。いまから会社の者に代わりのスーツケースを届けさせる』と言ってきた。彼は、その後現れた男性から何も疑わずにスーツケースを受け取り、東京行きの飛行機に乗ってしまったのです」(同)

 だが、羽田空港の税関でピトラスさんは突然別室へと連行される。。スーツケースは密輸用に改造されたもので、背の部分にビニールに包まれた覚せい剤9976グラムが隠されていた。

言葉がわからない異国での2年間の勾留生活

 ピトラスさんがその時の状況を振り返る。

「頭が真っ白になりました。私は日本語もわからないし、英語も苦手。何が起きているのかわからなからいうちに、手錠をかけられてしまった」

 女性の本当の目的は、日本側の相手に覚せい剤を届けることだったのだ。そんなことを露知らずに、覚せい剤密輸の実行犯になってしまったピトラスさんは、その後、長い拘留生活を送る羽目となる。

「拘置所は本当に辛い場所でした。話す相手もいないし、歩いている時は床の線を見て歩けと言われて、誰かと目線を合わすことすら禁じられる。電話も禁止で、母国に連絡を取れない。そのうちコロナ禍が始まりましたが、日本語で書かれた新聞を読んだって、オランダがどうなっているのかまったく分からない。完全に外から隔絶された生活を強いられて、気がおかしくなりそうでした」(同)

 コロナ禍の影響で、昨年3月から行われる予定だった一審の裁判員裁判が3ヶ月延期。7月に出た一審判決では、「自分のカバンを持ってきたのに、新しいスーツケースを持たされたのは不自然。薬物密輸の可能性に気づいていたはずだ」として、懲役7年の実刑を言い渡された。

「判決を聞いた時は崩れ落ちる感覚でした。もうダメだ。何を言っても信じてもらえないんだと絶望的な気持ちになり、戦い抜く気持ちも失せてしまいました」(同)

国選弁護人からの励まし

 そんなピトラスさんを叱咤激励し、支え続けてきたのが西脇氏であった。テレビ朝日法務部に勤務するサラリーマンでもある西脇氏は、休日を利用して国選弁護人としてピトラスさんの弁護を続けてきた。西脇氏が語る。

「私はピトラスさんの話を聞いて、彼は騙されたのだと確信しました。折しも、この裁判の準備期間中に元日産会長のカルロス・ゴーン被告の海外逃亡事件が起きていた。記者会見でゴーン氏は『日本の司法制度は有罪が前提で、差別が横行している』と述べ、日本の司法の悪いイメージを世界に発信してしまった。それを否定するためにも、“この国では、無罪の事件には無罪判決が出る”と示したかったのです。通常は、国選弁護の場合、一審と二審で弁護人は変わりますが、裁判所に志願して弁護を継続させてもらいました」

 そして、逮捕から2年の月日を経て、4月26日に迎えた東京高裁の控訴審判決。裁判長は逆転無罪を言い渡し、ピトラスさんは釈放されることになった。ピトラスさんは、判決の瞬間をこう振り返る。

「いろいろな感情が込み上げて、心の中が爆発しているような状態だった。支えてくれた人たちに本当に感謝している。自暴自棄になって諦めかけていた時、弁護士は『あなたのために80枚の答弁書を用意してきたんだ。あきらめるな!』って紙束を振りかざしながら、本気で叱ってくれた。彼だけじゃない。通訳や大使館の人たちにも大変お世話になった。彼らがいたからこそ、こうして外に出ることができた」

帰国したら真っ先にしたいこと

 釈放後、初めて日本の街を目の前にしたときは感無量だったという。彼は、後ろに聳える東京タワーを指差し、こう笑った。

「裁判所に移送される時、よくあの東京タワーを車の小さな窓から見ていたんだ。今こうして自由な空間でいくらでも眺められるのは、何とも言えない気持ちだよ」

 出国手続きが済み次第オランダに帰国するというピトラスさん。この間に仕事も住む場所も失ったが、今は希望に満ちている。

「一からすべてやり直します。自由でいられるというだけで幸せですよ。もうあんな怪しい話には二度とひっかからないよう絶対に注意します。帰国したら、まずは仲間を集めて盛大なパーティをしたいね」

 そんな希望を語ったピトラスさんだったが、取材に居合わせた大使館員の女性から「あなたは知らないでしょうが、オランダもコロナで大人数はダメなのよ」とたしなめられていた。

デイリー新潮取材班

2021年4月28日掲載

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