今では「反原発」ばかり口にする、小泉純一郎が「旋風」を巻き起こしていた頃

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 辞めそうで辞めない、辞めなさそうで辞めるのでは? コロナ禍、低支持率を続ける菅義偉内閣だが、ちょうど20年前の4月26日、内閣総理大臣に指名されたのが小泉純一郎氏(当時59歳)だった。「小泉旋風」とまで呼ばれる人気を誇り、5年5カ月に及ぶ長期政権を築いた。その強さの秘密とは何だったのか? 

(週刊新潮別冊「さよなら平成」2019年1月25日発行より再掲)

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「自民党のネオ・ニューリーダー」と呼ばれて

 人生いろいろ、総理もいろんなのがいたが、平成の世で、この人ほど咲き乱れた総理はいなかった。平成3(1991)年の夏、小選挙区制反対の急先鋒であった小泉純一郎氏。

 スキーは慶応大学時代に始めたそうだが、この頃はシーズンに1、2度しかできなくなっていた。すでに厚相を経験し、正しい食事、十分な睡眠、適度な運動という「健康3原則」を提唱していた氏は運動不足を気にしていた。で、スラロームマシンを購入、議員宿舎の一室に持ち込んでトレーニングに励んでいたという。

「スキーをやってる気分になるし、脚も鍛えられるから最高だね」

 氏は当時、自民党内を思うままに牛耳っていた竹下派(経世会)と激しく対立。対抗勢力として山崎拓、加藤紘一の両氏と結束して「YKK」と呼ばれ、「自民党のネオ・ニューリーダー」と注目されていた。とはいえ、旧来の自民党の論理では、到底、首相になれるようなタイプの政治家ではなかった。

 威勢がよく騒がしいだけの「変人」と見なされ、主流派からはまるで相手にされていなかったのである。が、10年後、党内の状況は一変していた。何しろ他がひどすぎた。

「橋本、小渕、森と旧来型の自民党政権が続き、第2次森内閣の支持率は1ケタ台にまで落ち込んでいました。国民は閉塞感を抱き、党内からも“このままでは持たない”という声が出ていたのです」(政治解説者の篠原文也氏)

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