厚労省、問題の「23人送別会」はなぜ行われたのか OBが考える2つの構造的な問題

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 3月下旬、厚生労働省老人保健課の職員23人が深夜まで送別会を開いていたことが判明した。その後、送別会の参加者23人のうち、半数以上の12人が新型コロナウイルスに感染。参加者を含む老人保健局の新型コロナ感染者は27人に上り、国立感染症研究所は「クラスターと言って差し支えない」との見解を示した。新型コロナ対策を呼びかける厚労省職員はなぜ、常識外れの送別会を行ったのか。問題が起きた背景には官僚の特権階級、上級国民思想を指摘する見方もあるが、実際のところどうなのだろうか。

 元厚労官僚でTwitter、YouTubeなどで発信をしている、おもち氏に話を聞いてみた。

 今回の一件は、国民の信用、そして他の公務員の信用を失墜させ、結果として医療・保険機関にも負担を強いたことですし、厚労省が組織として真摯に反省すべきであることは間違いありません。一方で、原因を官僚の“特権階級意識“に帰結させることは妥当ではないと思います。近年の政治主導の流れの中で、官僚の力は昔に比べると弱体化しており、それに伴って“特権階級意識“も薄れている。だから、むしろ今回の件を「自分たちが国会議員のスキャンダルと同列に扱われると思わなかった」と考えていた官僚の方が多いのではないかと思います。

 また、厚労省の関係者からは「厚労省には根が優しい人が多いから、自分や他人への優しさと甘さを混同してしまい、今回の送別会問題に繋がった」といった意見も聞きました。元厚労省職員として、この側面があったことは否定できません。しかし、「自分や他人への甘さ」は誰にでもあることで、組織というものは、その個人の甘さを律するために存在するものだともいえるのではないでしょうか。つまり、今回の問題の原因を厚労省という組織ではなく、職員の「甘さ」といった個々人の精神論のみに帰結させてしまっては、問題が風化した際の再発を免れず、不十分だと考えています。

なぜ起きたのか~精神論を超えて考察する~

 送別会問題の原因は、シンプルに言うと、(1)職員を送迎会で慰労したい気持ち、が、(2)危機管理、を上回ってしまったということでしょう。ここでは、個々人の「甘さ」を超えて、(1)をなぜ(2)で律することができなかったのか構造的に考察したいと思います。

職員を慰労したいという気持ち>危機管理 となる背景

 まず前提として、厚労省(及び霞が関の多くの省庁)は、慢性的に業務量に対し人員が不足しているという問題があります。昨年12月から今年2月の間に、月100時間を超えて残業した厚労省職員は、少なくとも497名(※)にも上り、他の省庁と比べてもダントツで多い数字でした。私が退職時に在籍した部署では、コロナ禍でないにもかかわらず、残業時間が月200時間を超えていました。

※超過勤務手当(残業代)の支給を元に算出された数字であるため、実態としてはもっと多いと考えられる。

 送迎会を行った老人保健課は、3年に一度の介護報酬改定という大仕事を抱えている部署で、さらに今年は新型コロナウイルス感染症の対策に当たる部署に職員を応援派遣していました。恐らく、この部署では、ほとんどの職員が過労死ラインを大幅に超えて長時間労働をしていたことでしょう。

 このような背景の中、3月下旬に報酬改定業務の見通しがたち、出向者である自治体職員も職場を去ることになり、共に支え合った職員を慰労したいという気持ちは理解できなくはありません。これがコロナ禍でなければ……。

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