「ドラゴン桜」と重なる阿部寛の役者人生 長い下積み時代を支えた事務所社長“秘話”
4月25日、日曜劇場の「ドラゴン桜」がいよいよスタートする。数ある春ドラマの中でも、放送前から最も注目されている作品の一つだ。そこで今回は、主演の阿部寛と作品の魅力を探ってみた。
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「ドラゴン桜」は2005年に放送された連ドラの続編。阿部が演じる弁護士・桜木建二が、画期的な勉強法で落ちこぼれ受験生を東大合格に導く物語だ。
本来なら昨年7月から放送する予定だったものの、新型コロナ禍で延期に。TBSが4月から放送することを2月10日に発表したところ、直後からツイッターに歓迎する書き込みが相次ぎ、トレンドランキングで2位に入った。その後もSNS上を賑わせている。
なぜ話題なのか。まず主演の阿部寛(56)の連ドラを首を長くして待っていた人が多いことが挙げられるだろう。阿部の連ドラへの登場は「まだ結婚できない男」(関西テレビ、フジテレビ系)以来、1年半ぶりとなる。
阿部の人気は役者の中で屈指なのだ。ビデオリサーチの「テレビタレントイメージ調査」の最新調査によると、好感度はサンドイッチマンに次いで男性芸能人の2位。
好感度の高さは今に始まったことではなく、2014年から16年までは3年連続トップ。17年は2位、18年は3位、19年は4位だったが、いずれも役者に限定するとトップなのだ(全て各年の8月期調査)。
阿部を支えた名伯楽
阿部の魅力は何かというと、彫りの深い端正なマスクもその1つだが、それより温かみがあり、包容力と重厚感を感じさせる演技に違いない。
だから中小メーカーの熱血社長役(TBS「下町ロケット」2015年、18年)はよく似合った。受験生たちを東大合格に向けてグイグイと引っ張った前作の「ドラゴン桜」もハマり役だった。
そもそも表現力が高い。目と口元の小さな動きだけで見る側に演じている役柄の心情を伝えられてしまう。日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞(2012年「テルマエ・ロマエ」)は伊逹ではない。
人気と実力を兼ね備えているわけだが、役者人生がずっと順調だったわけではない。苦労した時期が短くないのだ。
芸能界入りのきっかけは中央大理工学部在学中の1985年に姉の勧めで応募した「ノンノ・ボーイフレンド大賞」。優勝し、雑誌モデルを務めた。1987年には南野陽子(53)主演の映画「はいからさんが通る」で準主演に抜擢され、役者デビューを飾る。
ここまでは順風満帆だったが、デビューから2年が過ぎたころから低迷する。
日本人離れしたマスクと1m89の長身が徒となってしまった。来る仕事は「カッコイイ」というレッテルが貼られた無機質な男の役ばかり。とはいえ、容姿に頼らずに済む演技力はまだなかった。
「下積みがないので、自分をどう立て直したらいいのかわからない」(阿部*1)
そんな若き日の阿部を支えたのが、現在の所属事務所社長で当時はマネージャーだった茂田遙子氏。このところ事務所から独立する芸能人が相次いでいることから、事務所の存在意義が問われているが、茂田さんは芸能界で名伯楽と呼ばれている一人。
阿部が浮上の糸口を探していた1990年前後、茂田さんは阿部に向いた役柄を求め、NHKのドラマ部に日参した。
「どの事務所の人も来ましたが、茂田さんは毎日来た。熱の入り方も全然違った。その真摯な仕事ぶりに『こんな人もいるんだ』と感動しました」(元NHKプロデューサー)
茂田さんの熱意の甲斐もあって、阿部の出演が実現したのが、故・高倉健さんのNHKでのドラマ初主演作「チロルの挽歌」(1992年)。阿部は既に一定の知名度と人気を得ていたが、役名すらない建設作業員の1人を演じた。それでも健さんと共演したいと阿部が志願した。
阿部はその後、健さんが主演した映画「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)の日本テレビ版ドラマ(2011年)に主演。同じく健さん主演の同「遙かなる山の呼び声」(1980年)のNHK版ドラマ(2018年)にも主演した。
健さんが指名したわけではないし、2人の過去の共演が理由になったわけでもない。図らずも、健さんも包容力と重厚感の人。なにやら運命的なものを感じさせる。
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