奇跡の同点で延長17回の死闘…球史に残る“伝説の延長戦”3試合を振り返る

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3投手でノーヒットノーラン

 史上初の3投手継投による延長戦でのノーヒットノーランが達成されたのが、06年4月15日のソフトバンクvs日本ハム(福岡ヤフードーム)だ。日本ハムのルーキー左腕・八木智哉は、初回に先頭の大村直之を四球で歩かせるなど、計4四球を許しながらも、適度にボールが散らばったことが幸いし、140キロ未満の直球にスクリューボールやスライダーで緩急をつけて、ソフトバンクの強力打線を翻弄。延長10回まで無安打無失点に抑えた。

 だが、味方打線も決定打を欠き、初回からゼロ行進。150球投げた八木は10回限りで無念の降板となったが、2番手・武田久も11回を三者凡退に打ち取り、ノーヒットノーランは継続する。

 試合が動いたのは12回。日本ハムは1死一、三塁でルーキー・川島慶三が遊ゴロに倒れるも、執念のヘッドスライディングで間一髪セーフ。併殺崩れの間に三塁走者・小笠原道大が生還し、虎の子の1点を挙げた。

 その裏、守護神・マイケル中村が2四球を許したものの、最後の打者・井出竜也を三振に打ち取り、3投手継投によるノーヒットノーランの快挙で1対0の勝利。お立ち台に上がった八木は「勝ち投手で終わりたかったんですが。残念だけど、チームが勝って良かった」と晴れやかな表情だった。

 ヒルマン監督も「交代は迷ったが、代え時と思い決断した。八木は言葉に表せないピッチング。あとの2人もよくやってくれた」と3投手の頑張りをたたえた。ちなみに、同年、日本ハムは62年の東映時代以来、44年ぶりの日本一に輝いている。

 もし、これらの3試合がいずれも9回打ち切り引き分けだったら、興趣を削がれていたのも事実だ。来年こそは、コロナが終息して再び延長戦が見られる日を心待ちにしたい。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮取材班編集

2021年4月20日掲載

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