車谷前社長が引き寄せた東芝「解体」「身売り」のXデー、お粗末過ぎる辞任のウラ側

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「救済色」が露骨

 東芝の代表執行役社長兼最高経営責任者(CEO)の車谷暢昭氏(63)が4月14日、突如辞任した。東芝が開催した緊急記者会見には本人は出席せず、

「東芝再生ミッションが全て完了し、現在かなり達成感を感じている。3年の激務から離れて心身共に充電したい」

 というコメントだけが代読された。

 しかし、この言葉を文字通り受け止める人はまずいないだろう。それは、4月7日に表面化した英投資ファンド「CVCキャピタル・パートナーズ」による東芝買収計画に、「水面下で協力していたのが、CVC日本法人会長から東芝に転じた車谷氏本人だった」と、金融界や霞が関は見ているからだ。

 そもそも、CVC買収が発覚した時期、車谷氏は東芝に出資する多数の「アクティビスト(物言う株主)ファンド」との調整に行き詰まり、東芝社内での信用も急激に失っていった。そのため、次の株主総会では取締役人事承認を得られず、退任に追い込まれるだろうと、周囲の誰もが思っていた。

 金融機関の幹部は、こう断言する。

「古巣のCVCによる買収で東芝が上場廃止となり、アクティビストを追い出せれば、車谷氏は留任される可能性もありました。つまり、CVCとともに起死回生の一手を打ったということでしょう」

 だが、あまりにも「車谷救済色」が強いCVCの提案は、東芝取締役会の永山治議長らの不信を買うことになった。多数の取締役が車谷氏解任の準備に動いたことで、車谷氏は辞任に追い込まれた。そして、「車谷氏が保身のために、CVCの買収案を呼び込んだことで、パンドラの箱が開いてしまった」(前出金融機関幹部)という。結果、東芝は今後、多数のファンドからの買収攻勢にさらされることになるというのだ。

抱え込んだ“重荷”

 今回の混乱を理解するために、まずは東芝とアクティビストの関係を振り返ってみたい。

 東芝は2016年、米国での原子力事業を頓挫させ、米原子力子会社「ウエスチングハウス(WH)」に巨額の損失を発生させた。そのままWHを破綻処理したものの、17年12月には、2年連続の債務超過で上場廃止となる事態を免れようと、海外のヘッジファンドによる増資を行って6000億円を調達した。

 この増資で上場を維持できたが、“重荷”も抱え込んだ。ファンドの中には、シンガポールの「エフィッシモ・キャピタル・マネジメント」をはじめとするアクティビストが含まれており、東芝は彼らの厳しい要求への対応を迫られることになったのである。ちなみに、エフィッシモは、旧村上ファンド出身者が設立した投資ファンドだ。

 このとき、アクティビストからの攻勢をしのぐため、東芝が助けを求めたのが車谷氏だった。旧三井銀行出身の車谷氏は、三井住友銀行の副頭取などを歴任している。11年の東京電力福島第1原発事故に際しては、東電の実質国有化の計画案をまとめ上げ、経済産業省から厚い信頼を得た「金融のプロ」と見られていた。経産省のお墨付きを得て、18年、CVC日本法人会長から東芝のCEOに転じたのだ。

 しかし結論を先に言えば、

「東芝再建やアクティビスト対応という点で、車谷氏は力不足でした」(東芝関係者)

 連結最終損益は、車谷氏就任後の19年3月期に1兆円の黒字をはじき出したものの、20年3月期には1146億円の赤字に転落した。19年の黒字も、東芝メモリの売却益を織り込んだもので、もの言う株主ファンドたちの不満は強まる一方だった。

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