清原和博氏の長男が入部した慶応大野球部に“異変”が起きていた!

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「ノーヒットワンラン」の敗戦

 その背景にあると言われているのが高橋宏斗(中京大中京→中日1位)の存在と、入試制度の問題である。高校ナンバーワンの呼び声も高かった高橋は兄と同じ慶応大への進学を目指していたが、AO入試に不合格となったことでプロ志望に転じ、ドラフト1位で中日に入団している。

 高橋以外にも多くの強豪校から慶応大への進学希望者がいたものの、ことごとく不合格となり、他の大学や社会人チームへ進んだという。高橋ほどの選手が不合格になるのであれば、それ以外の選手にも合格を出しづらいと判断したとしても不思議のないことだろう。また、例年のAO入試は書類審査と面接によって行われているが、昨年はコロナ禍の影響で書類審査のみとなっており、その点も影響したと言われている。

 有名高校球児の慶応大受験について話題となるのは、これが初めてのことではない。1973年には“昭和の怪物”と言われた作新学院の江川卓が不合格となり、結局、江川は東京六大学のライバルでもある法政大へ進学。また、92年には夏の甲子園で優勝投手となった森尾和貴(西日本短大付→新日鉄八幡)も合格できず、社会人野球へ進んだ。

 ちなみに、江川が入学した後の法政大は76年春からリーグ戦4連覇を達成するなど黄金時代となり、江川の在学期間中、慶応大は一度も優勝することができていない。また、森尾が不合格となった後の4年間も慶応大は優勝を逃し続けている。

 当時と比べると、付属の慶応高校から入部してくる選手のレベルが上がっており、上級生にも力のある選手が多く、いきなり弱体化することは考えづらいが、開幕カードの法政大戦の初戦でいきなり「ノーヒットワンラン」(ノーヒットで1得点)の敗戦を喫したのは幸先が悪いと言えそうだ。“陸の王者”がこのまま低迷期に入ってしまうのか、今後の戦いぶりに注目したい。

西尾典文(にしお・のりふみ)
野球ライター。愛知県出身。1979年生まれ。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行う。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員。

デイリー新潮取材班編集

2021年4月18日掲載

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