ジュディ・オングが日本で見つけた飲食店 美味しいNIPPON

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 好きな飲食店や好物の話を聞けば、その人の人となりが解るというもの。ゆえに「名は体を表す」ならぬ、「食は体を表す」なのである 。この企画では、外国籍の著名人の方々にご登場頂き、行きつけのお店をご紹介してもらいます! 意外なお店のチョイスに驚くこと必至! 彼らの食に対する感性と経験が垣間見えちゃうんです。第85回は、ジュディ・オングさん。今回は「華都飯店」に伺いました!!

 エーゲ海をそのまま身にまとったかのような美しさは、71歳となった現在も衰え知らず。台湾出身のジュディ・オングさんは1972年、日中国交正常化を機に帰化しており、“外国籍の著名人”には当たらないが、今回は特別にご登場いただきました。

 父の仕事の関係で訪日したのは3歳、芸能界入りしたのは9歳のとき。

「滑舌と口の形をよくするため、そして立ち姿がキレイになるようにと、母が合唱とバレエを習わせて、それから劇団ひまわりに入団したんです。はじめ父は大反対でしたけど、ちゃんと学校に行って銀行に勤めるならいいって。銀行のほうの約束は守れませんでした(笑)」

 初めての映画出演は日米合作の「大津波」。原作者のパール・バックから指名されたジュディさんは、日本人初のハリウッド俳優として知られる早川雪洲などと共演を果たす。以後、映画に歌にと活躍していく。

 そんな彼女が、20代の頃から通い詰めているのが、現在は六本木にある「華都飯店」。お祝い事はもちろん、ふだんの景気づけなどでも通うほどだという。

 お気に入りは「アボカドとカニのスープ」で、アボカドのコクと、たっぷり入っているカニ肉が絶妙にマッチ。この日はこちらのスープも込みのランチコースをいただくことに。

 サクサクの衣と甘辛いソースが絡み合った「ホタテのフリッターチリソース」を味わいながら、かの名曲「魅せられて」の誕生秘話に話が及びます。

「実は筒美(京平)さんが亡くなったあと、楽譜を見せてもらったんですけど、何度もアレンジを書き直してるから真っ黒で。それほど大切な曲だったんだと思います。音程の起伏が激しくて、歌いこなすのが大変。プロデューサーには出だしの部分で何度もNGを出されて、トイレにこもってオイオイ泣いていましたよ」

 今でも歌うときには1週間前から体作りを始め、前日にはのどへの刺激が強い柑橘類などは摂らない。スポットライトの裏に、たゆまぬ努力。しかし、そんなところを微塵も感じさせないのが、さすがディーヴァです。

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