「競技プログラミング」という青春 「開成―東大」天才学生たちの世界への挑戦

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小3で高1の過程が修了した公文

 数学の素養が必須となるのは言うまでもない。「競プロ」の世界では、有望な選手のほとんどが少年時代から数学オリンピックなどで好成績を収めてきた秀才たちだ。

 伊佐さんも、小学6年で「算数オリンピック」銅賞、高校1年の時には「数学オリンピック」の国内大会で銅賞を獲得した“天才少年”だった。

「5歳から公文を始めたのですが、気づいたら小学3年の頃には、高校の過程が修了していました。小さな頃から納得するまで考えることが好きだったんです。勉強していたというより、絵本の代わりに問題集を読んでいたような感じでした」

 そして開成中学に進学後、中2の時に「競プロ」と出会う。

「入部した『数学研究部』には、『競プロ』をやっている部員が多かった。競プロに必要なアルゴリズムはまさしく数学です。自分の得意分野を活かせるかもしれないと考え、『情報オリンピック日本委員会』が主催する有望選手を育てる夏季セミナーに応募したら、選考に通ったんです」

 それから四六時中、「数学」と「競プロ」漬けの生活を送るようになった伊佐さん。「数学オリンピック」では国内大会、アジア大会で銅賞を獲得したものの世界大会には進めなかった。だが、競プロのほうでは、高1の時、中高生の国際大会「国際情報オリンピック」日本代表4人に選抜された。

「国際情報オリンピックは大学対抗戦と違って個人戦です。台北で行われたこの年の世界大会には311人が参加し、結果は40位でした。初めて世界戦に挑み、世界の壁を知りました。悔しいというよりは、同年代の桁違いな選手たちを見て、純粋にすごいなと。いつか僕も頂点に立ちたいという気持ちで続けてみたのですが、高2、高3では代表にも選ばれず、上位入賞する夢は潰えました」

大学進学後、気づいた“弱さ”

 その後、東大医学部に現役合格。半年くらいは部活動やアルバイトをするなど一般的な大学生活を送り、競プロから遠ざかったという。だが、徐々にふつふつと想いが募ってきたという。

「このまま中途半端で終わりたくない。最後までやりきりたいと思うようになって。そして、もう一度一から勉強し出したんです。そうしたら、違った景色が見え出した」

 高校時代までの自分には「忍耐力」が足らなかったと振り返る。

「単に思考力と知識だけが問われている世界ではなかった。制限時間内に突破口を探さなければならないメンタル面も重要な競技です。高校時代までは、すぐに自分の中に壁を作ってしまい、あきらめてしまう癖がありました。ネガティブな気持ちになると、解けるものも解けなくなってしまう」

 心の持ちようを変えたことで、急に成績が伸びだしたという。

「絶対に答えはどこかにあるはずという前向きな気持ちになって挑むと、ちゃんと壁を乗り越えられることに気づいた。その瞬間って本当に気持ちいいんですよね。日常が彩られる。そういうプラス思考が循環しだして、練習方法も改善されていき、いつしか『競プロ』を純粋に楽しめるようになった」

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