「アジア系憎悪」が生まれる場所:アメリカ社会「キャンセル文化」と「ウォーク文化」の複雑な狭間

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アメリカで相次ぐ「AAPI(アジア・太平洋諸島系)住民」への暴力事件。トランプ前大統領が導火線に火をつけた差別感情は、例年の25倍ものヘイトクライムを生み出した。

 今年1月、カリフォルニア州サンフランシスコ郊外のチャイナタウンで、91歳のアジア系男性が路上で突然、見知らぬ男に押し倒され、大怪我を負った。2月には、同州ロサンゼルスのリトル東京にある東本願寺別院の提灯台が放火された。そして3月には、ジョージア州アトランタの韓国系マッサージ店が襲撃され、8人が犠牲になった。

 いずれも日本で広く報じられ、米国におけるアジア系差別の現状への関心が高まっている。

アジア系へのヘイトクライムが急増

 新型コロナウイルスの感染拡大が始まった昨年1月以降、アジア系――米国では「AAPI」(アジア・太平洋諸島系)という表現も用いられるようになっている――を標的にしたヘイトクライム(憎悪犯罪)が急増している。

 カリフォルニア州立大学サンバーナーディーノ校の「憎悪・過激主義研究センター」(CSHE)が3月下旬に発表した報告書によると、その数は過去1年間に145%増加。非営利団体「ストップAAPIヘイト」に寄せられた報告件数は3800件。例年に比べて25倍の増加だ。

 アトランタでの事件直後、ジョー・バイデン大統領とインド系の母親を持つカマラ・ハリス副大統領は、アジア系差別を糾弾する声明を発表した。また、韓国発の人気ボーイズグループ「BTS」も自らの差別体験を語り、公式Twitterで「#StopAAPIHate」や「#StopAsianHate」といったハッシュタグを付けた声明を英語と韓国語で投稿。テニスプレーヤーの大坂なおみ選手や錦織圭選手ら、各界のインフルエンサーによる声明も相次いだ。

「中国ウイルス」連呼の影響

 アジア系差別の急増は、やはりコロナ禍と無縁では無かろう。とりわけドナルド・トランプ前大統領が在任中に「中国(武漢)ウイルス」と繰り返し言及した影響は大きい。

 もともと移民政策や人種問題などをめぐり白人至上主義的な傾向が見られた同氏だが、米国で感染が拡大し始めた昨年2月末頃までは米中間の通商合意(いわゆる第1次合意=1月15日に署名)を重視する立場から、習近平・中国国家主席の対応を賞賛していた。

 加えて、コロナの危険性そのものを軽視する発言を繰り返していた。

 ところが3月半ばから感染拡大が深刻化し、支持率が低下しはじめると、一転して中国の初期対応を批判し、「中国ウイルス」を連呼するようになった。

 もともと米国内の対中世論は、知的財産の窃取やハイテク技術の移転強要、国有企業への補助金、法の支配を無視した海洋進出などをめぐり、コロナ禍以前から悪化していた。トランプ政権が発足した2017年から3年間で中国に対して「好意的ではない」と回答する米国人は、20ポイント近く増加している。

 そうした文脈の中で「中国ウイルス」という表現が用いられると、米国民の対中感情のみならず黄禍論(反アジア感情)そのものに火をつけかねない、と専門家などが懸念を示していた。

 市井の米国人にとっては日系や韓国系や中国系などの違いを認識するのは困難であり、彼らは「アジア系」と一括りにされがちだ。「中国系(チャイニーズ)」がアジア系の代名詞になっている面もある。一部ではあるが、アジア系が不潔で、病気の媒介者であるとの偏見も根強く残っている。

 政治指導者の言葉はやはり重い。

 昨年、私が前出のCSHEのブライアン・レヴィン所長から聞いた話によると、2001年の米同時多発テロの直後、ジョージ・W・ブッシュ大統領がイスラム系への憎悪転嫁を戒める演説を行った結果、翌年のイスラム系へのヘイトクライムは3分の1に減少したという。

 逆に、トランプ大統領がイスラム圏からの入国規制措置などを打ち出した2017年からの1年間にイスラム系へのヘイトクライムは21%増加したという。

 トランプ氏や有力議員らが「中国ウイルス」という表現を繰り返したことで、中国系のみならずアジア系全体への差別が助長されたと考えるのは妥当と思われる。

 バイデン大統領は就任早々、大統領令(行政命令)で「中国ウイルス」や「武漢ウイルス」という呼称の使用を禁止した。

 もちろん、アジア系に憎悪を抱く米国人にとっては、アジア系の市民、留学生、駐在員、旅行者の区別は容易ではなく、その必要性も感じないであろう。言い換えると、今後、ワクチン接種が広がり、米国への渡航が容易になれば、米国を訪れる私たち自身がスーパーやレストラン、路上、バス、地下鉄などで嫌がらせを受ける可能性もあるということだ。

アジア系差別の歴史

 米国における人種差別と聞くと、まず先住民や黒人に対するものを思い浮かべるが、アジア系に対する差別の歴史も長い。

 1871年には中国系の男性17人が約500人の暴徒に集団リンチされ、1882年には中国人排斥法、1924年には排日移民法(ジョンソン=リード法)が可決。1930年代にはアジア系の入国や帰化が禁じられていた。

 アジア系の帰化が認められたのは1952年、出身国別の移民割当制限が撤廃されたのは1965年になってからだ。

 真珠湾攻撃(1941年)の翌年2月には、フランクリン・ルーズベルト大統領が米西海岸の日系人約12万人(うち62%は米国市民)を全米11カ所に設けた隔離施設に強制移動・収容する大統領令に署名した。公民権侵害を米政府が公式に謝罪したのは1988年、ロナルド・レーガン政権の末期だった。

 日米貿易摩擦が激しかった1982年には、中国系の男性が日本人と勘違いされ、ミシガン州デトロイトの自動車労働者2人に殴殺される事件も起きている。1992年のロサンゼルス暴動は、もともと黒人青年に過剰暴力行為を働いた白人警官に無罪評決が下ったことを発端とするが、黒人やヒスパニック系による放火や略奪の標的になったのは、隣接するコリアンタウンだった。

 マイノリティがマイノリティを差別する構図は、彼の国における人種問題の複雑さを浮き彫りにした。

 加えて、より見えにくい差別の構図も存在する。

 例えば今日でも、アジア系が重役に昇進する可能性は白人の半分に過ぎない。大手法律事務所では、アジア系は最大のマイノリティ集団ではあるが、パートナー(共同経営者)とその補佐役であるアソシエートの比率は、黒人とヒスパニック系が1対2、白人が1対1であるのに対し、1対4と最も低い。

 大学の学長数に占めるアジア系の割合はわずか2%である。ハーバード大学のラリー・バコウ学長はアトランタでの事件の翌々日に、同窓生を含めた大学の全コミュニティに対して、アジア系の学生やスタッフへの支援を約束する声明を発したが、学生の21%をアジア系が占めるのに対し、終身教授はわずか11%に過ぎない。終身教授の80%は白人である。

ハーバード大訴訟が示すもの

 露骨な暴力や差別であれば善悪の判断は容易だが、こうした見えにくい差別の是正はより問題が複雑だ。

 その好例が、ハーバードなどの有力大学を相手に行われたアジア系差別の是正を求める裁判だ。

 非営利団体「公正な入学選考を求める学生たち」(SFFA)は2015年、ハーバードがアジア系に対して不当に高いハードルを課し、事実上の人種割当制度を採用しているとの訴訟を起こした。具体的には、アジア系の受験者に高い学力基準を課す一方、「好感度」「適合性」「勇気」などの個人的資質に関して消極的評価を下すことで、意図的に合格率を下げているとの主張がなされた。

 端的に言えば、「ガリ勉でテストのスコアは良いが、没個性的で、社会性や創造性、リーダーシップに欠ける」というアジア系に対する偏見を、そのまま入学選考の場に持ち込んでいるというわけだ。

 実際に高校の成績やSAT(日本の大学入学共通テストに相当)のスコアがほぼ満点で課外活動にも積極的だったにもかかわらず、不合格になったアジア系の受験者も原告団に加わった。

 これだけならもっともな訴えに聞こえる。

 しかし、話はそう簡単ではない。

 SFFAを設立したのは、公民権拡大の土台となった投票権法やアファーマティブ・アクション(マイノリティに対する積極的差別是正措置)の撤廃を長年求めてきた白人男性だったのである。

 彼からすると、アジア系の受験者を「被害者」に見立てることで、自らが「人種差別主義者」とのレッテルを貼られることなくアファーマティブ・アクションの正当性を揺さぶることができる。要するにアファーマティブ・アクションは一見、「差別是正」を掲げているようで、実際は「逆差別」に加担している悪しき制度というわけだ。

 一方、リベラル派は、この男性がそのための戦略としてアジア系に対する偏見を巧みに逆利用していると批判した。どこまで本当にアジア系に寄り添った行動なのか疑わしいというわけだ。

 数字の上でも、同大のアファーマティブ・アクションがアジア系に差別的とは言えない。全米の約6%にすぎないアジア系だが、ハーバードでは学生の21%を占めている。入学選考の倍率は20倍以上で、高校の卒業生総代に選ばれた受験生だけで定員の倍に及ぶ(合格者の半数は卒業生総代)。アジア系のみならず、成績やスコアが優秀であることは合格を保証するものではない。

 加えて、アジア系を対象とする民間調査会社「AAPIデータ」の昨年9月の報告書によると、アジア系の有権者の70%がアファーマティブ・アクションに賛成し、反対(16%)を大きく上回っている。

 2019年には地方裁判所、連邦控訴裁判所のどちらも同大の立場を支持する判断を下したが、この一件は米国という多様性を重んじる社会において「差別」をめぐる問題が決して一筋縄ではないことを例示している。

キャンセル文化とウォーク文化

 とりわけこの2、3年は、人種やジェンダーをめぐる発言を「差別的」だと糾弾して謝罪や辞任に追い込む(保守派の言うところの)「キャンセル文化」と、そうした差異や差別への意識の高さを誇る(リベラル派が言うところの)「ウォーク文化」(ウォーク=wokeは“⦅社会正義への意識が⦆覚醒した”の意)が激しい議論を呼んでいる。

 そして、そうした風潮の中、社会的リスクを恐れ、こうした問題への関与や発言を控える向きも見られるようになっている。

 声高な発言が社会の対立や分断を煽ることもある。しかし、沈黙は差別を黙認することにつながりかねない。両者のバランスをどう取るべきか。いや、そもそもバランスを取るべきことなのか――。

 米国にとってのジレンマであると同時に、人権への関心が高まる日本においても重い問いになりつつある気がしてならない。

渡辺靖
慶應義塾大学SFC教授。1967年生まれ。1990年上智大学外国語学部卒業後、1992年ハーバード大学大学院修了、1997年Ph.D.(社会人類学)取得。ケンブリッジ大学、オクスフォード大学、ハーバード大学客員研究員を経て、2006年より現職。専門は文化人類学、文化政策論、アメリカ研究。2005年日本学士院学術奨励賞受賞。著書に『アフター・アメリカ―ボストニアンの軌跡と〈文化の政治学〉』(サントリー学芸賞/慶應義塾大学出版会)、『アメリカン・コミュニティ―国家と個人が交差する場所』(新潮選書)、『アメリカン・デモクラシーの逆説』(岩波新書)、『リバタリアニズム-アメリカを揺るがす自由至上主義』(中公新書)、『白人ナショナリズム-アメリカを揺るがす「文化的反動」』(同)などがある。

Foresight 2021年4月7日掲載

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