「妊活」に疲れた夫、不倫相手のシングルマザーが妊娠するも… 最後に残った疎外感

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 結婚していても恋をすることはある。そして恋心を抑えきれずに行動してしまう人がいる。それが「不倫の恋」ということだ。どうしても抑えきれなかった人、あるいは最初は軽い気持ちだったのに恋にのめり込んでしまった人、その経緯はさまざまだろう。

 節度のある不倫を続けていれば、周囲にはバレなかったかもしれない。だが、相手の気持ちや状況もある以上、「バレずに何十年も続ける」ことは必ずしも容易ではない。

「バレずに続けていけると思っていたんですけどね」

 自嘲気味にそう言うのは、坂田大祐さん(44歳・仮名=以下同)だ。婚活パーティで知り合った美希さんと結婚して8年、子どもはいない。

「結婚したとき、僕が36歳、妻が35歳だったので早く子どもがほしいと思っていたんです。ところが妻はあまり協力的ではなかった。結婚前に子どものことも話した記憶はあるんです。僕は早くほしいと言い、彼女も同意していたような気がする」

 だが、妻は積極的ではなかった。何度か話をしてみると、「結婚生活に慣れてから」ということだった。彼は待った。

「もうそろそろいいんじゃないかと避妊するのをやめたんです。でもできなかった。一緒に不妊治療をしようと言ったけど、これも彼女は消極的でしたね」

 美希さんは、仕事が好きだったようだ。交友関係も広く、大祐さんはよく彼女の友人たちに引き合わされたりパーティに出席するよう頼まれたりした。大祐さんは子どものいる家庭を求めて結婚したはずだったのに、自分の求めているものが得られない。3年ほどたったとき、美希さんは悲壮な顔つきで大祐さんに話があると言った。

「彼女が言うには、『私はもともと子どもを産めるかどうかわからない体質だ』と。だけど婚活パーティで会った僕とどうしても結婚したかった。だからそのことを隠してしまった。申し訳ない。離婚してほしいって。美希は大粒の涙をぼろぼろこぼしていました。子どもありきみたいに詰めよっていた自分を反省しましたね。彼女は女性としてコンプレックスをもちながら生きてきたに違いない。言い出せなかった彼女を責める気にはなれませんでした。離婚はしない、ふたりで仲良くやっていこうと彼女を抱きしめました」

 結婚して3年、やっと彼女の真意がわかったと彼は感じた。ふたりで楽しく生活する。子どもは自然に任せる。その意識が共有でき、ふたりで保護犬をもらい受けた。

「週末は妻と一緒に友人夫婦とテニスをしたり、ふたりでキャンプをしたり、共通の趣味を見つけて過ごしました。楽しかったですよ。でも……僕は自分が演技をしているような気分から抜けられなかった。本当はやはり子どものいる家庭を望んでいたんだと思います。でも妻にそれは言い出せなかったし、不妊治療について調べたけど、そこまで自分が協力できるかもわからなかった。中途半端なまま時間が過ぎていきました。子どもがほしいなら、きちんと治療をするとか、特別養子縁組を考えるとか、何か他に選択肢があったはずなんですが何もできなかった。決断するのが怖かったのかもしれません」

 友人の家に遊びに行き、子どもがいると大祐さんは夢中で子どもと遊んだ。4歳年下の妹の家には3人の子どもがいる。ときどき行っては話をしたり、幼い末っ子のめんどうを見たりした。授からない可能性が高いとわかると、なお「子どもの存在」が気になってしかたがなかったという。

「ただ、それを言うと美希が傷つく。だから友だちや妹の家に行ったことはあまり言いませんでした。一方で、外に出るときの僕たちは本当に仲良し夫婦で、友人からも『仲がよすぎると子どもができないんだって』とからかわれたりしていました。美希は笑っていたけど、僕は笑えなかった。本当に美希を愛しているのかどうか、自分でもわからなくなっていたから」

 3年前、美希さんの母が66歳で急逝した。このときの美希さんの取り乱し方はすさまじかったと大祐さんは言う。

「美希のお母さんは、北陸地方の実家でひとり暮らしをしていました。折り合いがよくないということで美希はほとんど帰省しなかった。結婚してから2度くらいしか行っていませんし、ひとりで帰るのは嫌がっていましたね。だけど亡くなったと報せがあって一緒に駆けつけたとき、美希はお母さんの顔を一目見て、外へ飛び出してしまったんです」

 あわてて追いかけると、美希さんは見たこともないほど目をつり上げ、大祐さんにすがりながら『勝手に死んじゃうなんて、ばかやろー』と泣きわめいた。彼女がぽつりぽつりと話したことを総合すると、両親は美希さんが幼いころに離婚、母が彼女を引き取った。10歳のころに母は再婚したが、その再婚相手から美希さんは性暴力を受けていたようだ。

「あまり詳しくは聞けなかったけど、そういうことで彼女はひどく傷つき、そこから脱するのに相当、苦労したようです。子どもがほしくなかったのも、それと関係あるのかもしれません。僕としては少し納得できました」

 ところがその後、美希さんは急に子どもがほしいと言い出した。母の死が彼女の何かを変えたのだろうか。鬼気迫る感じで大祐さんに迫ってくる。そんな妻を、彼はどう受け止めたらいいかわからなかった。

「どうしても不妊治療を始めるというので一緒に病院に行ったんですが、お金も時間も手間もすべて膨大にかかる。1年ほどで僕はもうやめようと言いました」

 美希さんは納得しなかった。排卵日には必ず迫ってくる。大祐さんはせめてそれだけは協力しようとがんばってはいたという。

「奥さんのいる人と本気になったらきつい」

 そんなとき、大祐さんは仕事関係でマヨさんという5歳年下の女性と知り合った。小さいながら自分で会社を立ち上げた女性で、4人いる従業員は全員女性。マヨさんはシングルマザーで、9歳の娘がいた。

「一度、彼女の会社に仕事で行ったら、マヨの娘と、もうひとり他の従業員の子が別室で勉強しているのに遭遇しました。『ついでに勉強を教えてやってくださいよ』と言われ、時間があったので教えたんです。そこからマヨと公私ともに親しくなって。マヨの娘も交えてよく食事に行きました。僕、大阪出身なのでお好み焼き屋に連れていかれて『大ちゃん、焼いてよ』って。これ、マヨの娘が言うんですよ。ませてておもしろくて、でもまっすぐでかわいい子なんです」

 妻が不妊治療で必死になっているのに、夫はシングルマザーとその子と一緒に食事をしている。もちろん妻にとって許せる行為ではないのかもしれない。だが彼にとっては、「タイミングを逸した」のだ。彼が子どもがほしいと思う時期と、妻がそれを望む時期にあまりにタイムラグがあった。

 娘が介在していたせいか、マヨさんとはごく自然に近づいていったと彼は言う。ある日、マヨさんから連絡があった。

「今日は娘が別れた夫のところに泊まるから、ゆっくり食事しないか、と。別れた夫ともいい関係を築いているみたいで、それはマヨの人柄なのかなと思いました。考えれば、もう僕はすっかりマヨに惹かれていたんです。自分では気づかないふりをしていただけ」

 その晩、ふたりは外で食事をし、初めてホテルでゆっくり過ごした。心身ともにリラックスした気持ちのいい時間だった。

「これからも会いたいと言ったら、彼女は『私も。だけど奥さんのいる人と本気になったら自分がきついだけ。友だち関係で、ときどきこういう時間をもつのがいちばんいい』と。そんなふうに気持ちをコントロールできるものなのかと聞いたら、『つらくても努力するのよ』と。それを聞いて彼女と一緒になりたいと思った。子どももいないし、美希だってそのうち子どもはあきらめるしかないし、それまでマヨとの関係を深めたいと。無責任で非情かもしれないけど、そう思ったんですよ」

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