「鬼滅の刃」で話題 「遊廓」の“子孫”が漏らした切ない胸の内

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 テレビアニメ「鬼滅の刃」の続編「遊郭編」の今年中の放送が決定した。発表と同時に大きな話題となり、ネット上ではある“当惑の声”も上がった。

「遊廓を子供にどう説明すればいいの?」

 という、小さな子供を持つ親たちからの反応である。

 遊廓とは、公認された買売春エリアを指す。

 そういう場所である遊廓について、子供に伝えることがむずかしいというのは正直な気持ちだろう。こういう歴史があったんだよ、と話すにしても、できれば正確な知識を持てるような年齢に達してからのほうが、望ましいはずだ。

 一方で、もう大人になっているファンにとっては、実際の遊廓を知っておけば、より作品を深く味わうことにもつながるだろう。

消滅間際の「遊廓」を10年にわたって調査、撮影

 遊廓の建築に魅了され、調査と撮影を続けてきた渡辺豪さんによる写真集『遊廓』には、現在も遺っている全国の遊廓跡の写真が数多く収録されている。

 同書によれば、江戸時代に遊廓と呼べるものは江戸の吉原、京都の島原、大坂の新町、長崎の丸山の4カ所のみで、それが明治以降、昭和の戦後まで、政治的、軍事的、国際的な思惑から全国拡大されてきた歴史を持つという。昭和33年の「売春防止法」の施行によって遊廓は事実上廃止され、その後、娼家(娼婦を置いて客をとる家)建築の多くは取り壊されてしまった。

 現在、実際に目にできる、わずかに遺っている娼家のほとんどは、戦後か、せいぜい近代以降に建てられた建物である。

 その独特の佇まいに魅せられた渡辺さんは、全国各地の遊廓跡を訪ねて撮影を続けてきた。もちろん、勝手に撮影するわけにはいかない。ときには怪訝な顔をされながらも、丁寧に趣旨を伝えて、了解を得たもののみを撮影している。

子孫が打ち明ける複雑な心中

 先祖の仕事に誇りを持っているような人も少なくないという。

 ある取材地では、こんなやりとりがあった。

 元娼家を所有する人たちの多くは、売春防止法の施行から60数年を経て、今では当時の経営者はとうに亡くなり、その子孫にあたる人が暮らしている。その家でも、売春営業とはなんら関わりのない世代であるお孫さんが、渡辺さんに話してくれたこととは――。

 「最近ここが女郎屋として紹介されたことがある。ここは遊廓だ。自分の爺さんや婆さんが遺してくれたこの建物を、女郎屋だなんて」

 遊廓は格式が高く、格式の低い女郎屋扱いされたことに、憤慨していたのだった。

 この2つの言葉の厳密な違いを求めることには意味がないだろうし、そこで“行われてきたこと”の歴史的事実が変わるわけでもないだろう。それでも格式にこだわるのは、身内への愛情や庇いたい心があってのことではないだろうか、と渡辺さんは理解したという。

消滅間際の「遊廓」 その記憶を遺すために

 遊廓が好きで、建物を撮影したい、という気持ちを巧く伝えられないでいる渡辺さんを見兼ねたのか、「まぁそんなに遠いところから来たんだから、まず茶でも」「いままで家の中を見せたことがないけど、あんたなら……」と、家にまで上げてくれた。

「映像や舞台などでは、遊廓というと、とかく光が当てられるのは、ドラマ性をもった娼婦の姿であり、その心情です。たまたま娼家を経営する家庭に生まれてきただけという人たちの声や感情は、取りこぼされてきてしまったのではないでしょうか」

 渡辺さんは、その心に寄り添いたいという想いをもって、遊廓を撮影し、記憶と記録を遺そうとしている。

 アニメ「鬼滅の刃」遊郭編で大正時代の遊廓はどのように描かれるのであろうか。

デイリー新潮編集部

2021年4月7日掲載

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