モデルKoki,の炎上 彼女が踏んだ「着物の帯」の2つの意味
「ハイヒールで踏み歩くなど」と一蹴
もう一つある。ヴァレンティノ側が公表した謝罪文は「日本の文化を冒涜するような意図は全くなく、このシーンで使われた布も、着物の帯ではありません」としているが、この釈明も火に油を注ぐものになってしまった。
西陣織工業組合(京都市)や博多織工業組合(福岡市)は、そうした釈明を「言い繕い」として一蹴。「日本文化の原点ともいえる帯をハイヒールで踏み歩くなど日本文化を著しく冒涜するもの」としており、日本文化の冒涜にあたるのかどうかも正面から問題となった。
もしヴァレンティノが言うように、CMで使われたのが単なる「布」で、「着物の帯」とはまったく関係ないというのであれば、動画を削除する必要はなかったように思える。
しかし、今回ヴァレンティノは日本での批判に焦り、急遽動画を削除した。その理由は何であろうか――。
近年、ファッションブランドの広告を中心に、社会の反応を読み間違って炎上する広報活動や、「文化的盗用」という批判が浴びせられる事例が相次いでいる。
2018年11月、ドルチェ&ガッバーナ(Dolce & Gabbana)が上海で実施する予定だったファッションショーの宣伝広告を公開したところ、批判が殺到し、ショーの中止と創業者による謝罪動画の公開に追い込まれた。
それは、中国人モデルが、中国の伝統音楽風BGMが流れる中で、戯画的に巨大化したピザ、パスタ、カンノーロを「長い箸」で食べようとして上手く行かず、苦笑する姿が描かれていたからだ(ちなみにカンノーロは、映画「ゴッドファーザー PART III」でマフィアのドンを毒殺する際にも登場する、シチリア発祥の伝統菓子です)。
いかにもなオリエンタリズムの意匠と相俟って、「中国人に対する嘲笑」を意味しているのではないかという批判が殺到したのだ。これは、伝統的な中国文化の「理解を間違えた」のではなく、現在の中国社会の「反応を読み間違えた」事例だと言える。
キム・カーダシアンの一件
広告ではないが、2019年6月には、アメリカの著名芸能人キム・カーダシアン(Kim Kardashian)が下着ブランド「キモノ(KIMONO)」を商標登録しようとして批判を浴び、撤回に追い込まれている。
これは、「文化的盗用」の問題としても理解されている。「文化的盗用」とは、主として多数派・支配的な立場にある者が少数派・従属的な立場にある者の文化を、敬意を払うことなく「流用」したり、歴史的文脈を無視して「引用」したりすることへの非難をいう。
かつてはポリティカル・コレクトネスの範疇として理解されたであろうが、現代ではむしろ、ポリティカル・コンプライアンスの問題として理解できるだろう。
キム・カーダシアンが売り出そうとした矯正下着のコレクションは、日本の着物とは全く関係性がなく、キモノに対する敬意が感じられないものだったことから、KIMONOという名称の流用が「文化的盗用」にあたるとして、激しい非難を浴びたのだ。
今回のCMは、ヴァレンティノの言うように仮に「日本文化を冒涜する意図が全く無かった」としても、それが広告の受け手、社会に伝わらなかったのではお話にならない。
議論を深めていくという観点からは、動画を削除しないで残すという選択肢も企業の社会的責任として考えられるべきだった。しかし、SNSでの炎上を放置すると、文化的盗用の観点からの批判にもさらされかねず、万が一そうなれば、動画1本の問題に留まらず、日本での「DI.VA キャンペーン」の展開自体が頓挫しかねない――。こういった経営判断があったのかもしれない。
いずれにせよ、今回のCMは、「日本の伝統文化への侮蔑」だとする受け手の反応を企画段階で無視または過小評価し、社会の反応を読み間違えて公開してしまったものと言えるだろう。
ファッションブランドの広告には、既存の価値観を揺さぶる表現を通じてそのブランド性を訴求しようとする傾向もある。いわゆる「ギリギリ」を攻めるクリエイティブだ。それゆえ、社会の反応を予期できず、社会的要請を読み間違って炎上する事例がファッション業界に多いのは偶然ではない。
特に、グローバルなファッションブランドによる広報活動では、そうした判断の分かれ目が紙一重になることもある。ヴァレンティノが多様な価値を称揚する「DI.VA キャンペーン」の展開にあたって、日本で「寺山修司へのオマージュ」を採用した狙い自体は間違っていない。問題は、社会がヴァレンティノに期待することは何かを掴み、それに適切に応えようとする感覚の鋭敏さだ。
もしヴァレンティノがこれからも「グローバルな規模での文化の包摂性」を真摯に謳い上げていきたいのであれば、ローカルな文化に対する敬意を明確にしながら、多様な価値の在り方を象徴するディーバが誇らしく闊歩する動画を作り続けていくべきであろう。ただし「帯」ではなく、普通の「レッドカーペット」の上で。
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