志村けんに愛された女たち 「小柳ルミ子」が明かした「最後の会話」 「由紀さおり」が語る「いかりや長介」とのエピソード

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常に横には女性が…

 1年前に急逝した志村けんはテレビ・舞台で好みの女性タレントや歌手と共演することが多かった。そこで覗かせていたのは、シャイで、酒とタバコを嗜(たしな)み、何よりコントにこだわったという知られざる素顔。「変なおじさん」の半生を“愛されし女たち”の証言で振り返る。

〈女の場合は、僕が好きにならないとなかなか信頼関係ができない。だからいつも好きな子をそばに置くようにするのかな、なんて思う〉

 新型コロナウイルス感染症で昨年3月29日に急逝した志村けん(享年70)は自著『変なおじさん【完全版】』(新潮文庫)の中で女性と共演する際の心持ちをこう吐露している。

 お笑いの世界に身を投じてから亡くなるまでの50年余り、稀代のコント師のそばには常に女性がいた。生涯未婚を貫いたものの、多くの番組で、顔馴染みの女性メンバーと絶妙なかけあいでお茶の間の爆笑をかっさらうのが志村のスタイルだった。

 亡くなって早1年が経つ。かつての女性共演者の目に志村の姿はどう映っていたのか。

「志村さんはいつも、いかりやさんのそばにつきっきりでしたね」

 と語るのは、1969年に始まったTBS系「8時だョ!全員集合」に出演していた由紀さおりである。当時の志村はいかりや長介に弟子入りし、ザ・ドリフターズの付き人としてキャリアをスタートさせていた。

「『全員集合』の打ち合わせの時も、常にいかりやさんに見てもらいたいという思いがあったのでしょう。いかりやさんが“おい!”と志村さんを呼ぶと、飛んで行って“キャー!”とか奇声をあげてギャグをやっていました。面白くないといかりやさんに“何だそれ”と言われ、面白くても“面白い”とは言われない。他の付き人はそんなことしませんから、ストイックさが違いましたね」(同)

お笑いへの熱意に驚いた

 同じく、付き人時代から知る小柳ルミ子も似たような印象を抱いていた。志村はドリフターズに入る前、付き人をやりながらマックボンボンというお笑いコンビを組んでいた。

 小柳によれば、

「相方も同じドリフターズの付き人だった子で、デビュー直後の私のショーの前座でマックボンボンがよく出ていたんです。コント55号のような体を張る芸をやっていて、ものすごい才能だな、と思いました。だって、袖に入ってくるとその相方を怒鳴りつけるように“あそこの間が悪い”“このタイミングじゃ笑いがとれない”と厳しく叱っているんです。お笑いへの熱意に驚きましたよ。結局、その相方は失踪してしまい、別の人とコンビを組んでいました」

 その後、荒井注が抜けたドリフターズに加入。74年のことだ。しかし、生放送ゆえか、当初はなかなかウケない日々が続いた。前出の由紀が言う。

「当時は現場で高木ブーさんがいかりやさんからの叱られ役になっていました。年若い志村さんだと可哀そうだという、いかりやさんなりの気遣いだったんだと思います。既に人気のあったドリフターズに馴染むのは、志村さんにとっても大変な苦労があった。他のメンバーは“新しいドリフターズを作るため”と長い目で見守っていました」

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