田中邦衛さん逝く 9年前、体調が悪くても地井武男さんの告別式に参列した優しさ

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 俳優の田中邦衛さんが3月24日に老衰のため亡くなっていた。88歳だった。東映映画「仁義なき戦い」(1973年)では卑怯なヤクザ・槙原政吉を演じ、一方でフジテレビのドラマ「北の国から」(1981年)では我が子を愛してやまない実直な男・黒板五郎に扮した。役の幅が広い名優だった。

「また昭和の名優が逝ってしまいました…」

 中島貞夫監督(86)は声を落とした。

 田中さんとは60年以上の付き合い。映画版「木枯し紋次郎 関わりござんせん」(1972年)「暴動島根刑務所」(1975年)「暴力金融」(同)などに出てもらった。

「出会ったころの邦さんは俳優座にいたんですけど、一番ユニークな役者さんでした。なにしろ演技で口を尖らせたりするのですから」(中島監督)

 田中さんなりの顔芸だった。ご記憶だろう。役作りに心血を注ぐ人だったという。

 だから悪党も善人も出来たのかと思いきや、中島監督はそれを否定する。「邦さんが演じていたのは本当のワルじゃない」と振り返る。

「邦さんは性格が素直で、とても良い人。彼を悪く言う人はいません。映画で観たまま。あんな人に本当のワルは出来ません」(中島監督)

 確かにそう。故・松方弘樹さんが服役囚役で主演した「暴動島根刑務所」で演じたのも豚の飼育を生きがいにしている心優しき無期懲役囚だった。

 中島監督と共に東映ヤクザ映画を支えた故・深作欣二監督による「仁義なき戦い」で演じた槙原政吉は狡猾そのものなのだったが、それでいて人間くさく、憎めなかった。故・菅原文太さんが演じた主人公・広能昌三から怒鳴られると、たちまち縮み上がってしまい、観客を笑わせた。

「こういった役は邦さんにしか出来ませんでした。真面目な人がヤクザを演じるから面白いのです」(中島監督)

 名コメディリリーフだった。東宝「若大将シリーズ」(1961年)でもそう。誰の目にも格好良い若大将役の加山雄三(83)に対抗し、プレイボーイを気取ったが、まったくサマにならず、侮蔑の意味を込めて青大将と呼ばれてしまう始末。格好を付ければ付けるほど笑われた。

 だが、青大将は嫌われなかった。田中さんの人柄が透けていたからだろう。

「北の国から」の黒板五郎役はシリアスだったが、これも中島監督は「邦さんだから出来たのです」と解説する。

 五郎は東京を捨てて2人の子供と北海道で暮らし始めた。電気やガスも捨てた。あのころはバブル期前夜。文明と決別した五郎はある種、変人である。それを違和感なく視聴者に見せられたのは田中さんの力だろう。真面目な人柄と俳優座で体得した高い演技力だ。

 このドラマは2002年の最終作「遺言」まで続いた。人気があったからだ。評価も高く、菊池寛賞や向田邦子賞など20以上の賞を受賞した。

「ほかにも五郎の候補がいた」などと報じられたこともあるものの、信憑性は疑わしい。また、田中さん以外でこれほどの成功は得られなかったのは間違いない。

 脚本を書いた倉本聰さん(86)のドラマには悪人が登場しないことで知られる。

「悪人が書けない。悪人の一部の利を書こうとしちゃうと膨れ上がって善人になってしまう。性善説が強い。“越後屋”でもいいことを書いてしまう」(倉本さん*1)

 誰もが良い人と評する田中さんだからこそ倉本作品と同化し、21年も続いたのだ。

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