失踪した天才ライダー「伊藤史朗」 逃亡先のフロリダで語った「もう一度走りたい」(小林信也)
「アイツは化けもん」
私はロサンゼルス経由でフロリダに飛んだ。取材を始めてほぼ1年後、84年3月だった。空港に着くと、伊藤史朗と美奈子が並んで立っていた。
空港を出るまでの長い通路を、ガッシリした体格の史朗はほぼ無言で歩いた。ぶっきらぼうで、取りつく島のない感じだった。ところが、空港の外に出て太陽を浴びた途端に表情を変え、
「つまったあ!」
大声で叫んだ。執行猶予中の身でアメリカに飛び、19年も不法滞在を続けている。日本に強制送還されれば収監されると恐れていた史朗の、心の叫びだった。それからは堰を切ったように、19年間の真実を語り続けた。私はずっと耳を傾けた。
この取材のハイライトは、45歳を過ぎた史朗が「もう一度走りたい」と言い、私がマシンの手配に動いたところかもしれない。史朗が「ポップ吉村のマシンに乗りたい」と言った。ポップは知る人ぞ知る、世界有数の天才チューナーだ。
4度目のフロリダ行きを前に私は彼の工場を訪ねた。
「二輪のマシンには何歳くらいまで乗れるでしょう」
「35、36がいいとこだろう」
「45歳なんて無理ですか」
「無理だね、とても無理だ」
冷たく答えるポップ吉村に史朗の写真が載った雑誌を開いて見せた。すると、
「伊藤史朗……!」
表情を一変させ、驚きの声を上げた。そして叫んだ。
「彼ならできる。できるかもしれない。アイツは化けもんだ。ヤツだけは別格だった。かなうヤツは一人もいなかった。とにかく速い」
天才が認める天才。私はその言葉の向こうに、時代を超えて煌めく「才気」の輝きを見た。
[2/2ページ]