宗教が人を誤った方向に導く可能性 「あの世」「天国」の設定は自殺に繋がるのでは(中川淳一郎)
ドラマーの村上“ポンタ”秀一さんが亡くなりました。そのことを伝えるYahoo!ニュースのコメント欄には「天国で青木さんといっぱいセッションして下さい」との書き込みが。「青木さん」とはベーシストの故・青木智仁さんのことです。また、やく・みつるさんによる週刊ポスト連載「マナ板紳士録」では、著名人の訃報に接すると、その人が生前交流のあった故人にあの世で再会していじられる、という演出がよくあります。
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子供じみた話を今さらしますが、果たして「あの世」「天国」ってあるんですか? 今現在、多くの場合、上記二つの例を取ってみても「あの世」は「死んだ時点の状態」でその新世界がスタートすることになっています。やくさんの漫画でも、登場人物は皆さんそのように描かれています。
と考えると、「あの世」は超高齢社会なわけです。平成29年(2017年)のデータを見ると、死亡者に占める65歳以上の割合は約9割。
「天国でセッション」とか「あの世のふれあい」みたいな話になりますが、どうも日本の多くの皆さんの「あの世観」ってもんは、「あの世では人は年齢を重ねない」ということになっているのではないでしょうか。そして「あの世では人は死なない」もセットになっております。おい、あの世で人口爆発するだろうよ! という無粋な突っ込みは抜きにして、続けます。
となれば、ですよ。もしも「あの世」や「天国」があるのだとすれば、20代で体力も知力もビンビンの状態の時に死んだ方がいいのでは? なんて思うのですよ。
結局誰もこの二つの世界については分からないのですが、間違いなく日本人の死生観としては「あの世は『死んだ年齢』で辿り着き、『そのまま年を取らない』」ということになっています。
だとしたら、生まれてすぐに亡くなった赤ちゃんを誰があの世では面倒を見るのか……。そして、面倒を見たとしても、その子は成長しないわけですね。だとしたら我々が文章や漫画で表現する「あの世」って一体なんなんだろうか。
我々は適当過ぎる憶測を基にして「あの世」を表現してきたのか。人は死んだらどうなるのか──これはさまざまな宗教でも多々議論されてきたことです。それが分からないままに我々は、天国を想像をもとに表現し続けてきた。
極端に言えば、来世で今の年齢を維持できるのであれば、「体力がビンビンの24歳の今、自殺しまーす!」みたいな話にもなりかねません。仏教でも「極楽浄土」や「輪廻転生」などを説きますが、これって本当に我々のような現世を生きる人間にとって良い教えだったんですかね? これらも、「若くして自殺した方がいいんじゃね?」みたいな発想につながるかもしれない。
こう考えると私は宗教に対して「時に誤った方向に導くこともあるのでは」なんて警戒をしてしまうのです。そして、話は再び「あの世での年齢問題」に行き着きますが、たとえば78歳で亡くなった渡哲也さんが52歳で亡くなった石原裕次郎さんに「ボス!」なんて頭を下げている姿を想像すると、これまた違和感を覚えてしまうのです。