東京電力と右翼の黒幕「田中清玄」(第3回)石油権益をもたらしたアブダビ首長との出会い(徳本栄一郎)

国内 社会

  • ブックマーク

「政商」「利権屋」との批判

 だが、いい話ばかりではない。こうした活動は次第に、「政商」「利権屋」との批判も生んだ。70年代の初め、田中は国際エネルギー・コンサルタンツなる会社を興すが、そこに莫大な手数料が転がり込んだと指摘された。

 その典型が、BPからアブダビ沖のアドマ鉱区を獲得、発足したジャパン石油開発だ。その際、数億円のコンサルタント料が渡ったとされ、国会で問題となり、共産党議員が「悪名高い田中清玄」と名指しする有様だった。

 山崎豊子の小説「不毛地帯」に、竹中完爾という元左翼の怪しげな石油ロビイストが登場する。豪華なサロンのような事務所を構え、中東や欧州とのパイプで政財界の利権を漁る。屈強な秘書を従え、おどろおどろしいが、誰がどう見ても田中がモデルである。

 だが側近の太田によると、ちょっと実態は違うらしい。

「大分、言われましたよ。田中が金を何億と取ったと。でも、コンサルタント料は国際慣習からすれば少ない方でね。それに、それまで使ってる訳ですよ、アラビアに行って。決まれば、成功報酬である程度貰うけど、そうでないと無駄金になっちゃう。借金も多かったし、だから、あまり残らないんです。それに田中は出来上がった会社に入ってないでしょ。経営できないんだから、そんなの。あんな人が中に入ったら、会社は滅茶苦茶になっちゃいますよ」

 終戦直後、三幸建設時代の田中が事業と政治活動を混同し、経営を悪化させたのは前編で述べた。それから数十年、そうした気質は何ら変わってなかったようだ。

「従来は、まとめて何億円貰うとかしてたが、私は『そんなのは駄目だ』って止めた。そういう金は、使い方も雑になる。1億入っても、ばら撒いて借金が2億出来たりね。そこで、各社に月100万単位でコンサルタントし、回るようにしたんです。何か問題が起きれば、田中が動いて、その分、経費は貰ってね。私が、そういう風にした」

 毀誉褒貶はあるが、田中が体を張って、中東の石油をもたらしたのは事実である。その受け皿のアブダビ石油と合同石油開発は、現在、コスモエネルギーホールディングスのグループ企業となり、ジャパン石油開発は旧国際石油開発に統合された。これらは、今も日本に原油や液化天然ガスを送るが、その社史やウェブサイトは、田中の足跡に全く触れていない。

 11年を獄中で過ごし、山口組3代目と親友だった右翼の黒幕、そんな男が創業に関わったなど公言したくないのか、あるいは、そもそも知らないのか。それは、東京電力の社史から電源防衛隊の記述が丸々抜けているのと重なる。

 だが、もしそうだとしても、当の本人はさほど気にしなかったかもしれない。80年代に入ると、すでに彼の関心は石油から離れてしまったからだ。晩年の田中が心血を注いだもの、それは地球環境問題と再生可能エネルギーであった。(続く)

徳本栄一郎(とくもと・えいいちろう)
英国ロイター通信特派員を経て、ジャーナリストとして活躍。国際政治・経済を主なテーマに取材活動を続けている。ノンフィクションの著書に『エンペラー・ファイル』(文藝春秋)、『田中角栄の悲劇』(光文社)、『1945 日本占領』(新潮社)、小説に『臨界』(新潮社)等がある。

デイリー新潮取材班編集

2021年4月2日掲載

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。