韓国戦とモンゴル戦で最大の収穫は「伊東純也」 殻を破って得た“監督の信頼”
堂々としたプレー
22年カタールW杯アジア2次予選のモンゴル戦は、日本が記録的なゴールラッシュから14-0で圧勝した。W杯アジア予選で14ゴールは過去最多で、MF守田英正(25)、MF稲垣祥(29)、古橋亨梧(26)らが代表初ゴールを決めるなど記録ずくめの試合となった。
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この結果、日本は5月28日に札幌で予定されているミャンマー戦に勝利すれば、自力での最終予選進出が決まる。
前半を終わった段階で5-0だったため、もしかしたら二桁得点の可能性もあるかもしれないと思った。
というのも、モンゴルは実力的に劣っていても、ゴール前に人数を割いて守備を固めるのではなく、4-1-4-1の布陣からマイボールになるとタテパスによるカウンターでゴールを狙う姿勢を貫いたからだ。
先制点は代表初キャップの松原健(28)の右クロスを、南野拓実(26)が巧みなトラップから落ち着いて決めた。
2点目は吉田麻也(32)のタテパスを大迫勇也(30)が反転しながらマーカーを外して冷静に流し込んだ。
そして3点目は伊東純也(28)の速くて低い右クロスを鎌田大地(24)がワンタッチで押し込んだ。
25日の韓国戦(3-0)では沈黙した3人――日本が誇る攻撃の中心選手――が開始早々にゴールを決めたことでチーム全体に安堵感が漂った。取るべき選手がチャンスを確実に決めたからだ。
モンゴルのフェアプレー
その後は守田の代表初ゴールに続き、オウンゴールなども含めて日本は最後まで攻撃の手を緩めなかった。
というのも、今回は日本代表とU-24日本代表の活動が重なったため、五輪候補の選手は冨安健洋(22)以外呼ばれていない。
このため吉田が「これからの活躍次第だが、(今回初めて呼ばれた国内組は)もう若くないということ、残されたチャンスは少ないと思っているのではないか」と指摘したように、アピールしようと貪欲にゴールを狙った。それが試合終盤の連続ゴールにつながった。
後半途中からサンドバッグ状態のモンゴルを見ていて、ちょっとした不安もあった。
1999年7月4日のこと。シドニー五輪1次予選で日本はフィリピンと国立競技場で対戦した。試合は日本が11-0で圧勝したが、小野伸二(当時19)が後方からの悪質なタックルにより左膝の靱帯を断裂し、翌年のシドニー五輪の欠場を余儀なくされた。選手生命にかかわる大けがだった。
フィリピンのように、試合を諦めた選手が自暴自棄になってラフプレーに走るのではないか。しかしそれは杞憂に終わり、モンゴルの選手は最後まで試合を諦めず、フェアに戦い抜いた。
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