「甲子園の魔物」に襲われた…センバツ「伝説の決勝戦」で起きた“まさかの結末”
思いがけないサヨナラ劇
第93回選抜高校野球もいよいよ大詰めとなった。決勝戦では、1回戦から熱戦を勝ち抜いてきた東海大相模(神奈川)と明豊(大分)が紫紺の優勝旗をかけて激突する。これまでにも数々の名勝負が演じられてきた決勝戦だが、頂上対決ならではの独特の雰囲気のなか、“甲子園の魔物”とも言うべき一瞬のエアポケットが明暗を分けた例も少なくない。そんなまさかの結末をもたらした試合とは……。
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浅い左飛にもかかわらず、左翼手が肩を痛めていることを知っていた三塁走者が「一か八か」で本塁に突っ込み、思いがけないサヨナラ劇となったのが、1980年の高知商vs帝京である。
“球道くん”の異名をとる高知商の本格派右腕・中西清起(元阪神)に対して、変化球で打たせて取る帝京の2年生右腕・伊東昭光(元ヤクルト)。剛vs柔対決となった試合は、初回からスコアボードに19個のゼロが並ぶ投手戦となった。
そして、0対0で迎えた延長10回裏、高知商は先頭の堀川潤がファウルで粘り、伊東の10球目を左翼線二塁打。送りバントで1死三塁のサヨナラ機をつくる。直後、帝京・前田三夫監督は、レフト・江黒隆順の守備に一抹の不安を感じ、守備要員にキャッチボールを命じていた。前年秋に肩を痛めた江黒は、本塁までの直接返球は難しく、左飛が上がれば、サヨナラ犠飛になるリスクがあった。
だが、主将をベンチに引っ込める決心はつきかねた。そんな葛藤の最中、瞬間風速15メートル以上の強風がレフトから本塁方向に吹いた。「この向かい風なら、大きな飛球が上がることはない」。遊撃手が中継してバックホームする練習も積んでいた。そう判断し、交代を思いとどまった。
一方、高知商・谷脇一夫監督は、前日の準決勝、丸亀商戦を見て、「左翼手の投げ方がおかしい」と異変を察知していた。当然、三塁走者・堀川も「浅くても突っ込もう」と心に決め、次打者・小島尚の打球がレフトの定位置より4、5メートル右前に飛んだにもかかわらず、本塁を狙った。
遊撃手が外野の芝生付近まで下がって中継し、必死のバックホーム。タイミングはアウトにも見えたが、判定は「セーフ!」。捕手のタッチを回り込んでかわしながら、左手を伸ばし、巧みに本塁ベースを掃いた堀川の“技”に軍配が上がった。
「肩が普通だったら、ノーカットで楽に刺せた」と江黒は悔やんだが、最重要局面では、「普通なら自重するケース」などあり得ないことを痛感させられた試合でもあった。
芝生の切れ目で
優勝まで「あと一人」からまさかの暗転劇に泣いたのが、89年の上宮である。決勝の東邦戦は、1対1のまま延長戦に入り、10回、上宮は主将・元木大介(元巨人)の左前安打など3安打を集中。敵失にも乗じて、2対1と勝ち越した。
その裏、東邦の攻撃も2死無走者。ところが、ここまでコースを丹念についていた2年生エース・宮田正直(元ダイエー)が優勝を意識して「自分がどこにいるのか、何をしているのかわからなくなった」と突然制球を乱し、ストレートの四球と内野安打で2死一、二塁のピンチを招く。
次打者・原浩高は、初球を迷わず振り抜き、詰まりながらも中前に同点タイムリー。さらに本塁送球の間に二塁を狙った。
だが、一塁走者の高木幸雄は二塁を回ったところで立ち止まっていたため、明らかに暴走。これを見た上宮の捕手は、高木を挟殺しようと、サード・種田仁(元中日など)に送球したが、ここから信じられないような連続ハプニングが起きる。それは種田の二塁送球が、やや左にそれたことから始まった。
悪送球は右前に抜けたが、ライト・岩崎勝己がすぐさまバックアップに入り、通常なら、走者が二、三塁で止まるケースだった。
ところが、次の瞬間、ボールは芝生の切れ目でイレギュラーバウンドして跳ねると、岩崎の頭上を飛び越し、右翼フェンス最深部まで転がっていった。この間に高木が歓喜の表情で逆転サヨナラのホームを踏んだ。
あまりのショックに、ショートの元木をはじめ、上宮ナインはグラウンドにうずくまり、しばらく起き上がることができなかった。「しめた!」と思った直後に待ち受けていた落とし穴。幸運と不運は常に隣り合わせである。
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