「俺の家の話」で長瀬が有終の美、あまりに切ない最終回にホームドラマの王道を感じた

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ホームドラマの王道

 ほかにも第9話には不穏な空気が漂っていた。寿三郎が生還する前、寿一は早々と葬儀店・スイートメモリーズの鬼塚高吉(塚本高史、38)を家に招き入れる。妹・舞(江口のりこ、40)と弟・踊介(永山絢斗、32)、異母弟・寿限無(桐谷健太、41)は仰天する。

「ごめん、兄貴。感情が追いつかない」(舞)

 第1話と比べると、寿一の態度は明らかに違っていた。第1話で寿三郎が倒れた際には、相続の話をした舞と踊介を「おまえら心配じゃねーのかよ!」と怒鳴り飛ばしていたのだ。

 寿三郎の戒名と遺影まで用意。寿一らしくない振る舞いもサインだったのだろう。それは葬儀の諸準備は自分のためのものになった。悲しい筋書きだった。

 もっと悲しかったのは寿一の死後に行われた、寿三郎と寿限無、寿一の息子の秀生(羽村仁成、13)が出演した新春能楽会。舞台の袖に寿三郎を入浴させようとしている寿一が現れたからだ。

「なんでそんな格好でそんなところに立ってんだよ」(寿三郎)

「遠慮すんなよ」(寿一)

 寿三郎が心配で寿一が旅立てなかったのか。それとも寿一の死を認めたくない寿三郎の強い思いによって見えた幻影か。秀生のことが気になって舞台に上がろうとする寿一を、寿三郎が懸命に押しとどめる姿も胸を突かれた。

 長瀬とクドカンを「池袋ウエストゲートパーク」(2000年)で引き合わせ、このドラマも手掛けた磯山晶プロデューサー(53)らは一貫してこのドラマを「王道のホームドラマ」と説明してきた。

 多面体のようなドラマだったので違った受け止められ方もしたが、終わってみると、まさにホームドラマの王道だった。家族愛、親子愛のみならず、きょうだい愛も描かれた。

 それでいて説教じみたところは欠片もなく、遊び心に満ちていた。故・久世光彦プロデューサーが手掛けた同じTBSの名作「寺内貫太郎一家」(1974年)や同「ムー一族」(1978年)の系譜を継ぐドラマと言えた。サービス精神満点であるところも両ドラマと一緒。最終回のラストで登場人物たちのその後を紹介したのは親切だった。

 次に寿一のキャラクターはというと、「寺内貫太郎一家」の世界に生きていた人たちのように、随分と古風で犠牲心の人だった。

 寿一が最終回でこう言ったのをご記憶だろう。

「俺は、俺の家が大丈夫なら、大丈夫なんで」

 お互いに好きだった介護ヘルパー・さくら(戸田恵梨香、32)から「本当に自分がないのね」と言われた後の言葉である。寿一は自分より家という考えの持ち主だった。伝統芸能の家に生まれたという設定とはいえ、主人公としては異色だ。

 自分より家のこと。そんな寿一の願いは彼の死によって叶う。寿一が亡くなったことで踊介は惚れていたさくらと結婚できた。本来は寿一が継ぐはずだった二十八世観山流宗家には寿限無がなった。寿限無は二十八世を継ぎたがっていた。離婚したユカ(平岩紙、41)との間にもうけた秀生が能の稽古をやりやすくなったのも寿一が他界したからである。ユカは観山家に出入りしやすいようになった。

 ミーイズムの風潮が強い中で異色のエンディングとなった。寿一は全てを失い、周囲に与えた。長瀬とクドカン、磯山さんが話し合って決めた筋書きである。

 役者としての長瀬はやはり天下一品。誰もが名優と認める西田も絶賛している。最大の魅力は振り幅の大きさだ。

 例えば第6話。福島県いわき市のハワイアンセンターへの家族旅行で、寿一はわがままを言う寿三郎にブチ切れた。鬼の形相だった。ところが、瞬く間に穏やかな表情に戻り、「おやじ・・・」と寿三郎を思いやった。能の演技も堂に入っていた。

 若いころから演技巧者だった。名作の誉れ高いフジテレビの「白線流し」(1996年)では主人公の定時制高校生・大河内渉に扮した。繊細な渉を見事に体現した。同「フラジャイル」(2016年)では天才医師を演じた。長瀬はインテリも演じられるし、寿一のような単細胞も出来るのである。

 インテリと単細胞の両方を演じるのは難しく、例えば国民栄誉賞まで受けた故・渥美清さんでさえ、インテリ役には苦労した。やはり国民栄誉賞の故・森繁久彌さんは単細胞の役は得意としなかった。世間から憑依型と呼ばれる役者もどちらも名演するのは簡単ではない。

 長瀬が役者として貴重な存在なのは疑いようがないものの、3月いっぱいで引退し、裏方の音楽クリエイターに。作詞・作曲などを行う。1からのスタートではない。これまでも「東京ドライブ」などTOKIOの20曲以上を作詞・作曲してきた。

 転身はTOKIOのメンバーと1年話し合って決めたこと。昨年7月には本人がファンクラブ会員に向かって「芸能界から次の場所へ向かいたい」と宣言していることから、これは動かない。所属するジャニーズ事務所もそう発表してきた。

 もっとも、まだ若い。TOKIOはジャニーズ事務所の藤島ジュリー景子社長(54)が初めて手掛けたバンドで、社長と長瀬の関係は良いことから、望めば事務所復帰も移籍も可能だろう。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て、2016年、毎日新聞出版社入社。「サンデー毎日」記者、編集次長を歴任し、2019年4月に退社し独立。

デイリー新潮取材班編集

2021年3月29日掲載

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