キートン山田さん引退 「まる子」だけじゃない…50年の声優生活で学んだ“仕事術”

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目の前で原稿書き、『テレビあッとランダム』で体験したバラエティ番組

――ナレーターの仕事も伺わせてください。ナレーターの仕事を選んだきっかけはなんですか。

 最初は『ゲッターロボ』の予告編。予告編は普通、主役がやるんです。『ゲッターロボ』は主役が3人いるのですが、それを毎週やらせてもらった。それと『ドロロンえん魔くん』(73年)。野沢雅子さんとか、すごい人たちが参加していた作品ですが、予告編は僕だったんですよ。30秒の次回予告ですから長いナレーションはとてもできなかったけれど、「明るく。楽しく。元気よく」(笑)

 そのうちTBSの「SFドラマ 猿の軍団」(74年)に、完全なナレーション担当として呼ばれました。これも予告ですけれどね。やっていくうちに面白いなという気持ちはありました。そのうちに先輩で番組のナレーションをやる人が出てきて、「ああなれればいいな」という気持ちはありました。恰好よかったんですよ。アニメも洋画もやり、ナレーションもやる。それがいま自分のメインになったことが、不思議でしょうがないですよね。

――バラエティ番組のナレーションでも活躍されています。

 先ほど話した苦労の後、38歳で本名の「山田俊司」から「キートン山田」に改名したんです。その半年後にテレビ東京の『テレビあッとランダム』(84-90年)という1時間のバラエティ番組に起用されたのがきっかけです。テープオーディションで、それを聞いてオファーが来たんです。たまたまカセットテープを開いた時に名前が目立ったらしく。「ちょっと面白い名前がある。キートン山田って」、それで聴いてみたら「いいじゃないか!」って。

『テレビあっとランダム』は、土曜21時からの放送の数時間前に収録するんです。収録に行ったはいいいけれど、台本原稿はその場で書いている。時間がないから汚い字でね。それをコピーして、数時間後に生放送で流れるんです。緊張している場合じゃない。やらなければいけない。ひとりで一時間、どんなネタをやるかですよ。あれが勉強になったというか、度胸がついた。間に合わない時は、そのままスタジオに行って“生づけ”。それがナレーター仕事の最初だったから、きついよね。

――その頃のバラエティ番組では普通だったんですか?

 バラエティ黎明期でした。その場で書いたものを放送するのだから、文句を言っている暇もなくおまかせという感じです。アドリブをばんばん入れました。7年ぐらいやったかな。これが『ちびまる子』にもつながっていますね。タイプは全然違うけれど、「あいつはナレーションをやっている」と知られているから。それから『ちびまる子』もやるようになると、どんどん呼ばれて。その後はCMの依頼が増えました。あの雰囲気の声が欲しいってね。

――ご自身でナレーターとしての強みはどこにあると思いますか?

 何でしょうね。似た人があまりいないということでしょう。あとは生活感をだすことですよ。普通は生活感はできるだけ隠し、たとえれば「ケーキの上皮だけでスポンジをださない」ようにやる。一方、僕は逆に生活感をだして、泥臭くします。そのやり方、「かたち」に気づいた時に、生き方も仕事も、人付き合いも楽になりましたよ。

声優は個性が必要

――引退後にしてみたいことはありますか?

 はっきりしているのは畑仕事。これまでもやってきた野菜作りを本格的にできるのが楽しみです。あとは、人生の後片付けです。

――いまは静岡県の伊東にお住まいとのことですが、移られたのはいつ頃ですか?

 前から週末だけ行っていたのだけれど、ちゃんと住み始めたのは15年ぐらい前かな。田舎育ちだからそれが僕に合っている。東京に出てきてずーっと仕事をしてきたけれど、ただ終の棲家は絶対東京にしないと決めていました。土があるところでとね。

――今後も『ちびまる子』はご覧になりますか?

 観ます。一緒にやってきたメンバーも声を聞いて体調も分かるから。元気ないのかなとか、逆に頑張っているなとかも。元気を貰うためにも観ますよ。

――最後に視聴者やこれから声優を目指す人のために、良い声優とは何かを教えていただけないでしょうか?

 自分をしっかり持ったうえで、キャラクターを作っていくことです。お客さんや使う側からしたら、声優には個性が欲しいのですよ。個性をだすのは自分でしかない。個性を持っていない、自分の強みに気づいていないと、仕事をするうえで苦労します。現場が変わるごとに指示を出されて、その都度、そこに合わそうと無理をして。自分の個性がちゃんとできていないと、苦しくなるよね。怖くて何もできずに無難にやると消えていっちゃう。あくまでも自分が中心だということです。

 僕は挫折して、何もない、行き場がないところまでいったから自分を発見できたんです。「自分らしくするしかない、それでだめなら辞めよう」と。そこまでいかないと分からないことってあるんじゃないですか。自分探しとよくいうけれど、なかなか難しい。見つけたら生き方が変るのだから、個性は宝ですよ。

数土直志(すど・ただし)
ジャーナリスト。メキシコ生まれ、横浜育ち。アニメーションを中心に国内外のエンターテインメント産業に関する取材・報道・執筆を行う。大手証券会社を経て、2002年にアニメーションの最新情報を届けるウェブサイト「アニメ!アニメ!」を設立。また2009年にはアニメーションビジネス情報の「アニメ!アニメ!ビズ」を立ち上げ、編集長を務める。2012年、運営サイトを(株)イードに譲渡。2016年7月に「アニメ!アニメ!」を離れ、独立。

デイリー新潮取材班編集

2021年3月28日掲載

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