ヒトラーを興奮させた陸上「村社講平」 メダルを逃すもベルリン五輪の主役に(小林信也)
「東京五輪を強行する意味がどこにあるのか!?」
コロナ禍が続く中、五輪開催を非難する声が根強い。批判の背景には、東京五輪が“経済効果やインバウンド、産業振興”を目論む政治的思惑で招致された上に、不明朗なお金とウソでまみれた大会だとの認識がある。そのことには私も同意するが、だからといって「五輪なんてやめろ」と叫ぶのは飛躍しすぎではないか?
「スポーツを道具に使うだけの政治家や企業は五輪から手を引け」「スポーツを第一に考えた五輪に回帰しよう」と提言するのが本筋で、コロナ禍に乗じて東京五輪中止を声高に叫び、政権批判の道具にするのはこれもまた卑劣だと感じる。
スポーツの意義はどこにあるのか? 五輪開催に意味は見出せないのか?
そう問いかけた時、ふと思い浮かんだのが、村社(むらこそ)講平だった。
1936年、ベルリン五輪。村社は陸上男子5000メートルと1万メートルに出場した。
ベルリン五輪といえば、ヒトラーがナチス・ドイツの喧伝と国威発揚に利用した大会として記憶される。ギリシャで採火した聖火を、約3千キロリレーしてベルリンに運ぶ“聖火リレー”を初めて行ったのはこの時だ。
あらゆる方法で五輪が政治に利用された大会だが、人々を熱狂させ、大会の主役となったのはやはり選手だった。そして、そのひとりが日本の村社講平だ。
記録映画で主役級
36年8月2日、ベルリンのオリンピック・スタジアム。12万人もの大観衆が見つめる中で、男子1万メートルのピストルが鳴った。序盤から先頭に立ったのが村社だった。その後ろに3人のフィンランド人選手が続く。身長162センチの村社と、191センチのサルミネンはじめいずれも185センチはある長身のフィンランド勢。この対比が観衆の視覚と心情に訴えたのか、やがて場内には「ヤーパン(日本)! ヤーパン!」と叫ぶ声が広がった。
中学卒業後、図書館に勤めながらひとりで長距離を走っていた村社は、27歳で中央大学に入るまで専門的な指導を受けたことがない。そのため、最初から飛ばすことが身上で、レースの駆け引きは得意ではなかった。
村社が先頭で中盤を過ぎた。当然、村社が最も体力を消耗していただろう。やがて、7000メートルあたりでフィンランドの3選手が村社を抜いた。すると、スタンドから、「ヤーパン!」「ムラコソ!」といった悲鳴のような叫びが起こった。レース前には誰も知らなかった日本人ランナーに人々は心をつかまれていたのだ。
私は、ある番組のナレーション台本を書くため、NHKが所有する当時の映像を見たことがある。巨大なスタジアムの一隅で軍服姿のヒトラーがレースを見ていた。表情がひどく落ち着かない。小刻みに膝を上下させ、体を揺すり、明らかに平常心を失っている。その視線の先に村社がいた。
終盤まで小さな村社と大きなフィンランド勢3人の熾烈なデッドヒートが続いた。スタンドは村社に向けた思いで一体となった。
村社か、フィンランドか、観衆はまさに手に汗握り、固唾をのんで声を枯らす。
女性映画監督レニ・リーフェンシュタールが制作した2部構成の公式記録映画「オリンピア」の一方である「民族の祭典」で村社は、陸上男子100メートルで金メダルを獲得したジェシー・オーエンス(アメリカ)らとともに主役級で扱われている。村社はベルリン五輪を象徴する存在だったのだ。
フィンランド勢は、3人の中でたびたび順位を入れ替えた。それは風よけ役を分担するチームプレーにも思えた。先頭を走る村社に仲間はいない。
残り1週の鐘が鳴ると、一気に飛び出したフィンランド勢に離され、村社は4位に敗れた。
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