イスラエル、ワクチン政策のカギは諜報機関「モサド」 中国のワクチン情報を入手、大量の医療物資を獲得

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人道事業と暗殺と

 イスラエル、UAE両国は昨年9月、国交を結んで世界を驚かせた。つまり国交正常化の直前、すでに両国はコロナ禍での協力関係を築いていたことになる。実際、国交樹立の署名式の前にはコーヘン長官がUAEを訪れていた事実が明らかになっている。

 イスラエルからの返礼品は何だったか。

 UAEは、軍事物資、兵器のほか、セキュリティ関連のシステム、要するに国内に監視網を張り巡らせるためのソフトウェアなどを提供されたといわれる。すべてイスラエルが得意とする分野だが、それ以外にもワクチン入手をイスラエルに協力してもらったという説がある。UAEは、2月23日時点で接種率が35%で世界2位。イスラエルの口添えのおかげで達成された数字だという見方は、あながち穿ちすぎとも言い切れまい。

 モサドのスタッフはイスラエルの報道番組で、こうコメントした。無論、顔は晒していない。

「(医療物資は)隙間のような場所で取引されているものだ。そうした隙間を見つけることが重要だ」

 図らずも「取引の隙間」がUAEに、かの中東の一大商都ドバイにあったのかもしれない。

 それにしても、疫病対策のための人道事業に奔走するモサドの顔は、敵を排除するためなら暗殺も辞さない非情な顔と、あまりに乖離していないか。

 私の疑問に、モサド前長官のタミル・パルド氏は、シンプルかつ直截な言葉でこう答えた。

「モサドはイスラエルを脅威から救うためだけに存在する。(アラブ諸国に囲まれた)イスラエルのように壁際に追い詰められれば、何らかの対処をしなければならない。そういう状況下ではクリエイティブになり、何としても解決策を見つける必要がある」

 スパイが暗躍しているのはイスラエルだけではない。アメリカでもやはり、コロナ禍においてインテリジェンス機関の動きが急だ。

 もともと中央情報局(CIA)に医療情報部門はあるのだが、それよりも専門的なのが国防情報局(DIA)傘下の国家医療インテリジェンスセンター(NCMI)という医療情報専門組織だ。100人を超える感染学専門の医師や科学者を擁し、世界の感染症や医療制度、製薬会社の状況、バイオテクノロジー、米軍支援に資する各種の情報などを日夜調べ続けている。

 NCMIは非常に組織化された医療インテリジェンス組織だ。早くも一昨年11月の段階で、ホワイトハウスへの報告書に「中国国内での感染症の可能性」を記載していたことがDIA職員らの証言で明らかになった(国防総省は否定)。NCMIは中国の医療機関に対する通信傍受、あるいは衛星画像などで感染症の発生を察知したという。

 元CIAの内部告発者であるエドワード・スノーデンが公開した機密文書によると、通信傍受やネット空間の監視を手掛けるNSA(米国家安全保障局)が02年ごろから情報収集活動の主役に躍り出てきたとされる。彼らもまた、他の機関に負けじと世界の保健当局や製薬・創薬会社などを対象にハッキングなどの行為に及んでいたことは間違いない。

ロシア機関のセールス

 NSAは米国内のワクチン開発や治療法などの最新情報を狙った中国やロシアの工作も調べており、内容を政府機関に逐一報告している。

 元CIA幹部への取材によれば、新型コロナの発生源を突き止めるにあたっても、CIAなどが世界に散らばる中国人科学者や関係者の家族らに接触を図り、さまざまな証言を集めているはずだという。

 言わずもがな、ロシアや中国といった強権国家では、インテリジェンス機関の働きは、遵法の足かせや市民からの監視とも無縁であるせいで、はるかにアクティブなものである。

 ひとつの象徴的な事実を挙げよう。

 英米では民間の製薬会社がワクチン開発を行ったが、ロシアの場合はガマレヤ研究所、国立の機関だった。やる時は何でもやる。まるでこうしたスローガンを持っているかに映るプーチン体制そのものが、開発を進めてきた形だ。

 各国がしのぎを削るワクチン開発競争におけるロシアの国力の投じ方は、冷戦下の米ソ宇宙開発競争時さながらである。

 昨年8月に完成したロシアのワクチンは、かつてソ連が打ち上げに成功した世界初の人工衛星にちなんで「スプートニクV」と命名された。諸外国への提供も早々に、かつ大々的に打ち出され、南米各国への大量供給を決めたその様は、まるで米国の裏庭をロシア色に染め上げてみせるぞと言わんばかりだった。

 ロシアの情報機関の手口は狡猾だ。なにしろ国家的にハッキング集団が養成されているのである。

 英国のサイバーセキュリティセンター(NCSC)は昨年7月、ロシアのスパイ組織のハッカーらが「イギリスやアメリカ、カナダでワクチン開発を行う組織を標的にしている」ため、「警戒を強めるよう」呼びかけた。しかしながら、どこまで情報漏洩を防げたかは定かでない。

 先に南米へのワクチン供与について言及したが、ロシアのインテリジェンス部門はスプートニクVの売り込みにも関わっている。

 販売を表向き担当するのは、政府系ファンドのロシア直接投資基金(RDIF)。彼らが帯びる第一の使命は「V」が世界で広く受け入れられるようにして、ロシアの威信を高め、外貨を稼ぎだすことにある。

 昨年8月、RDIFの販売担当者と名乗る人物が、日本の製薬会社にインターネットを介して接触してきた。彼は「V」が世界初の承認ワクチンであることを強調し、コロナ禍で日本とロシアは手を結ぶべきだとしきりに口にしたという。

 日本の公安関係者が指摘するには、

「RDIFによる接触工作の裏で、インテリジェンス機関が情報を共有、連携しているのは確実だ」

 この製薬会社の関係者は次のように言う。

「彼らの話しぶりからは、日本で広く普及させるだけでなく、日本に拠点を置き、世界各地へ販路を広げようとする意図も感じた。まるで新型コロナワクチンで世界の覇権を狙おうとするかのようだった」

 かの悪名高きKGBの後身にあたるロシア対外情報庁(SVR)などの各情報機関は、ネット空間での工作にも乗り出している。

 SVRは千を超えるSNSアカウントを保有し、それらのチャンネルを使って情報工作を行う。

トロール(荒らし)工作

 彼らがまず標的としたのが、メキシコや中南米諸国だ。SNSやロシアの政府系メディアを駆使し、ロシア製ワクチンがいかに米英製のそれよりも効果的かを喧伝する工作を、昨年8月ごろから推し進めてきた。

 さらに少なくとも六つの言語を駆使し、東欧やアフリカでも同様の情報工作を展開したことが確認されている。フェイスブックなどはこうした活動を問題視し、「V」の効果を喧伝するような英語、フランス語、ポルトガル語、アラビア語などによる投稿の削除に乗り出したほどだ。

 ロシアの情報工作を追跡する国際団体「民主主義保護同盟」のブレット・シェイファー氏は懸念する。

「ロシアがワクチンを宣伝する際、その情報はほとんど操作されています。米国製のワクチンに関して否定的な情報は大々的に流布されるよう仕向け、ロシアのワクチンについては反対に、肯定的な情報や逸話を溢れさせている」

 中国の取り組みも同様だ。米ニューヨーク・タイムズ紙にこんな報道があった。

〈2021年1月に、スプートニクVを推す、とあるツイッターアカウントに、ウソの情報が投稿された。それは『ファイザー製ワクチンによって死者が出ている事実を米国メディアが隠蔽していると中国メディアが報じた』というものだった〉

 米国を貶めようとする、なかなかに巧妙な工作といえよう。中国は新型コロナが自国内で確認された当初から、異常事態の発生を報告していた地元医師らの口封じを躊躇なく行った国である。今さら情報工作への関与を知っても驚かないが、ロシアと異なるのは、工作の目的が自国イメージの悪化を防ぐことにある点だろう。

 中国の情報機関である国家安全部は、プロパガンダ要員やサイバー工作部隊などにSNS上での偽アカウントを大量に作成させ、中国に都合のいい情報やフェイクニュースを組織的に拡散させている。各国に置かれた中国大使館も公式アカウントを通じ、それらの情報を広めるサポートをしていることは、もはや周知の事実である。

 中国にとってネガティブな記事や発言がネット上に見つかれば、情報工作チームが読者のふりをして、記事に批判的なコメントを書き連ねる。「トロール行為(荒らし行為)」と呼ばれるこうした活動は、彼らにとってお手のものだ。

 世界に未曾有の混乱を引き起こしたコロナ禍は、国家の安全保障に対する脅威だ。各国がインテリジェンス機関を総動員し、自国の利益の極大化に邁進するのは自然、かつ当然のこと。

 果たして日本はどこまで対抗しうるだろうか。

 実務面の強さを売りにする菅政権も、ワクチン接種の開始はG7の中であえなく最後尾に甘んじた。ワクチンの承認は厚労省、保冷装置の確保は経産省、運搬は国交省、注射針の廃棄は環境省、自治体との連絡は総務省……。この行政の縦割りを打破すると言って、ワクチン担当大臣の新設を発案し、悦に入っているようではインテリジェンス先進国に肩を並べるには程遠い。

山田敏弘(やまだとしひろ)
国際ジャーナリスト。講談社、ロイター通信社、ニューズウィーク日本版などに勤務後、米マサチューセッツ工科大学フェローを経てフリーに。『CIAスパイ養成官――キヨ・ヤマダの対日工作』(新潮社)など著書多数。テレビ・ラジオでも活躍中。

週刊新潮 2021年3月25日号掲載

特別読物「争奪戦と覇権争い 諜報機関の『ワクチン戦争』」より

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