21世紀枠で下克上を果たしたチームといえば? 現ヤクルト投手は駒大岩見沢に勝利の快挙

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 2年ぶりに開催された春の選抜は、連日熱戦が続いている。春の選抜といえば、注目されるのが21世紀枠で出場するチームだろう。実力重視での選出ではないため、前回までの初戦成績は13勝38敗と、圧倒的に負け越しているのが実情だ。今年は4校が出場したが、21世紀枠同士の対決で勝利した具志川商(沖縄)以外は初戦敗退となった。それでも三島南(静岡)は9回まで接戦だったし、東播磨(兵庫)に至っては延長11回サヨナラ負けという大健闘だった。過去には並みいる私立の強豪校相手に見事勝ち切り、下克上を果たしたチームもある。

 最初に旋風を巻き起こしたのは、21世紀枠が初めて採用された2001年の春に出場した宜野座(沖縄)である。初戦で東海大会王者の岐阜第一を7-2で降すと、桐光学園(神奈川)を4-3、浪速(大阪)を延長11回の末4-2で振り切って、ベスト4進出を決めたのだ。準決勝ではこの大会の準優勝校となる仙台育英(宮城)の前に1-7で完敗したが、堂々の大健闘ぶりであった。

 この宜野座と並ぶ最高成績を収めたのが09年の利府(宮城)だ。初戦で掛川西(静岡)を10-4と圧倒すると、続く2戦は甲子園優勝校が相手となったが、習志野(千葉)には2-1で劇的なサヨナラ勝ちをし、準々決勝では東の名門・早稲田実(東京)相手に5-4の接戦を制した。堂々のベスト4進出である。さすがに準決勝ではこの大会No.1左腕との呼び声高い菊池雄星(シアトル・マリナーズ)擁する花巻東(岩手)の前に2-5で惜敗したものの、その実力が決してフロックではなかったことを十分証明した。

 08年の春の選抜は21世紀枠にとって快挙の年だった。まず、成章(愛知)が駒大岩見沢(北海道)に3-2で逆転勝ちしたのだが、このとき成章のエースとして君臨していたのが、現在東京ヤクルトスワローズで先発ローテーションの一角を担い、今年の開幕投手も務める、“ライアン小川”こと小川泰弘。エラー絡みで2点を失ったものの、打者ごとに攻め方を工夫する巧みな投球で、チーム打率4割近い駒大岩見沢打線に長打を許さなかった。結果、8回表のチームの逆転劇をお膳立てするとともに、創部103年目にして、念願の甲子園初勝利をつかむ原動力となったのである。

 この成章に続いて、安房(千葉)は城北(熊本)に2-0の完封勝ち。そして華陵(山口)は“陸の王者”慶応(神奈川)相手に1回表に挙げた1点、いわゆる“スミ1”を最後まで守り切って勝利している。この3チームは続く2戦目で全校敗退したものの、21世紀枠のチームすべてが初戦突破という快挙達成であった。この偉業は現在に至るまで、この年だけのことである。

 また、05年の1回戦で修徳(東京)を5-2で倒した一迫商(宮城)は“21世紀枠”VS“都会の強豪校”で21世紀枠のチームが勝つ典型のような試合となった。一迫商は1回表に先頭打者がヒットで出塁すると、徹底的にバントで揺さぶり、2点を先制。主導権を握った。エース・佐藤勇も丁寧な投球をみせ、振り回してくる相手打線に対し丹念に内外角をつき、長打を許さなかった。

 一方の修徳は1-5で迎えた9回裏に無死満塁のチャンスを作ったものの、内野ゴロでの1得点のみに終わってしまう。甲子園の雰囲気にのまれず、自分たちの野球をやり切った一迫商が見事に初戦突破した形となったが、実は修徳は組み合わせ抽選の際に相手が21世紀枠だと知って喜んでいたという。最初からなめてかかっていたフシがあるのだ。試合終盤にようやくひたむきな攻めを見せ始めたが、時すでに遅し。試合終了後の挨拶で修徳ナインが茫然自失気味になっていた姿が印象的であった。

「末代までの恥」

 なめてかかった結果、下克上された例をもう一つ。10年に出場した向陽(和歌山)は、戦前に夏の選手権を連覇したこともある古豪である。そんな名門も戦後は低迷し、このときは実に36年ぶりの甲子園だった。

 その初戦の相手は前年の中国大会王者で“山陰のジャイアン”ことエース・白根尚貴(元・福岡ソフトバンク)とプロ注目の好打者・糸原健斗(阪神)を擁する開星(島根)。当然、下馬評では圧倒的に不利とされていた。

 しかし先制したのは向陽だった。4回裏に2四死球で2死一、三塁のチャンスをつかむと連続長短打が飛び出し、2点を先取したのだ。守ってはエース・藤田達也が力投し、走者は出すものの、決定打を許さなかった。9回表に1点を返されたものの、2-1で見事に勝利。向陽は甲子園で実に45年ぶりの白星を挙げたのである。

 ところが、この試合後にちょっとした事件がおきる。敗れた開星の野々村直通監督が敗戦インタビューで「21世紀枠に負けたのは末代までの恥。腹を切りたい」などと発言したとして大問題に発展したのだ。

 もっとも、向陽は前年秋の近畿大会で初戦敗退したが、奈良の強豪・天理相手に3-4という接戦を演じていた。つまり、単なる“21世紀枠”ではなかったのである。

 07年の都城泉ヶ丘(宮崎)は、あれよあれよという間に強豪校に勝利している。同校は当時、宮崎県知事だった東国原英夫の母校ということでも注目された。対戦相手は夏の甲子園優勝経験校で出場校32校中打率2位を誇る強打の桐生第一(群馬)だった。都城泉ヶ丘は打率最下位ということもあって、戦前は当然、桐生第一が圧勝するとみられていた。

 ところが試合が始まると左腕エース・諏訪日光が変化球を駆使したテンポのいい投球で、16個もの内野ゴロアウトを取っていく。打線も、のちのドラ1左腕・藤岡貴裕(元・千葉ロッテなど)から終盤2度のチャンスできっちりスクイズを決めるなど、手堅い攻撃で2得点。結局、諏訪は相手打線に2安打しか許さず、2-0の完封勝ちで初戦突破を果たしたのであった。

 力勝負で打ち勝った例もある。11年の城南(徳島)だ。相手は前年夏の甲子園ベスト4で高校野球界きっての強豪・報徳学園(兵庫)だった。城南は報徳の2年生右腕・田村伊知郎(埼玉西武)を4回表に捉えて先制。5回表には2死から4連打で2点を奪った。さらに4-3と1点リードで迎えた9回表にはエース・竹内勇太の3ランなどで4点を追加し、試合を決めたのである。報徳も終盤粘ったが、終始圧倒した城南が8-5で見事に打ち勝ったのだった。

 最後に紹介するのは、15年に82年ぶり2回目の出場を果たした松山東(愛媛)だ。初戦で対戦したのは東京の強豪・二松学舎大付で、相手エースは現在、読売ジャイアンツの若手投手陣の中で期待の左腕とされる大江竜聖が君臨していた。打線も上位下位と切れ目がないまさに難敵だった。しかし松山東は4-4の同点から7回表に適時打で1点を勝ち越し、5-4で競り勝ったのである。

 見事なまでの番狂わせを演じたわけだが、その裏にはベンチに入れなかった部員の存在が大きかった。彼らがデータ班となり、相手の公式戦をビデオ分析し、徹底的に丸裸にしていたのだ。

 さらにもう一つ、松山東ナインを奮い立たせたものがあった。82年ぶりの出場ということで、地元・愛媛県からバス66台分で駆けつけた大応援団だ。見渡せば三塁側の松山東アルプススタンドはスクールカラーの緑一色に染まっていた。その大声援がナインを猛烈に後押ししたのである。まさに全校一体となって成し遂げたジャイアントキリングであった。普通の公立校でも強豪私立と互角に戦えることを証明したこれらのチーム。勝利した試合内容のほとんどが“ロースコアの接戦”だったことが、これまた21世紀枠らしいのではないだろうか。

上杉純也

デイリー新潮取材班編集

2021年3月24日掲載

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